ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

「モアイは語る」でまた♩気ぃづいちゃった気ぃづいちゃったわーいわい♩

前回「ヒューマノイド」についての考察というかツッコミを入れたあと、次の教材である毎度おなじみ「モアイは語るー地球の未来」を読みまして、というか生徒に読ませたところ、「ん?」と思ったことが。あれ、また表記が変わってるぞ?♩気ぃづいちゃった気ぃづいちゃったわーいわい♩ 

 この人最近見ないですねえ?

では、一部分を引用します。まずは前回の結論の部分

 現代の私たちは、地球始まって以来の異常な人口爆発の中で生きている。一九五〇年代に二十五億足らずだった地球の人口は、半世紀もたたないうちに、その二倍の五十億を突破してしまった。イースター島の急激な人口の増加は、百年に二倍の割合であったから、いかに現代という時代が異常な時代であるかが理解できよう。
 このまま人口の増加が続いていけば、二〇三〇年には八十億を軽く突破し、二〇五〇年には九十億を超えるだろうと予測される。しかし、地球の農耕地はどれほど耕しても二十一億ヘクタールが限界である。そして、二十一億ヘクタールの農耕地で生活できる地球の人口は、八十億がぎりぎりである。食料生産に関しての革命的な技術革新がないかぎり、地球の人口が八十億を超えたとき、食料不足や資源の不足が恒常化する危険性は大きい。
 

それが今回はこうなりまして↓

 現代の私たちは、地球始まって以来の異常な人口爆発の中で生きている。一九五〇年代に二十五億足らずだった地球の人口は、半世紀もたたないうちに、その二倍の五十億を突破し、今や八十億を超えてしまった。イースター島の急激な人口の増加は、百年に二倍の割合であったから、いかに現代という時代が異常な時代であるかが理解できよう。
 このまま人口の増加が続いていけば、二〇五〇年には九十七億に達するだろうと予測される。必要な食料はますます増えていくだろう。実際、二十一世紀に入ってからの二十年間で、世界の農耕地の面積は急速に拡大している。しかも、新たな農耕地の約半分は、森林を切り開いて生み出されたものだ。今のところ、全人口を支えるだけの食料生産は維持されているが、分配の不均衡により、飢餓に悩まされる国や地域は増えている。目の前の危機を乗り越えるために、これ以上、森林を切り開けば、表層土壌の流失によって、結果的に食料不足が恒常化するおそれもある。

・・・・・・以前も書きましたが、更に以前の教科書では「二〇五〇年には百億を越えるだろう」と書いてありました。人口の話ですから、ある程度流動的になるのはしかたがないでしょう。ですが、ここからはなはだ失礼な話になりますが、3回?の改訂の中であちこちいじってまで、この教材を残す必要があるのだろうか、と思ってしまったんですよね。(筆者の方には大変失礼ですけれど)どうですか、読み比べてみると、何だか変な感じがするんですけれど、私だけでしょうかね?では、以下嫌らしいツッコミをば。

①前回の表記では「八十億を越えると食糧不足が恒常化する恐れがある」と言っているのに、すでに八十億を越えてしまった。ならば現在食糧不足の恒常化が起きるはずなのに「今のところ、全人口を支えるだけの食料生産は維持されている。」と表記されているのは、かなり苦しい書き換えですね、ニヤリ(←性格が悪い)

②「これ以上森林を切り開けば」から「表層土壌の流失によって」につなげるのが、なんというか収まりが悪い感じがする。イースター島くらいの狭い範囲ならともかく、世界規模で「表層土壌の流失」が起きている、という感覚は正直ないんですよね。(森林伐採が広がっているまでは分かるけれども?)

③以前のブログ記事で、youtubeで見た「モアイをころではなく歩かせて運んだ説」の方が説得力がある、的な内容を書いたのですが、「諸説あり」として「歩かせた説」だけでなく「森林破壊はポリネシア人が持ち込んだネズミによるもの説」まで載せているんですよね。youtubeでは「白人に奴隷として拉致された説」もありましたが、こうまで「諸説ある」内容を、内容を改稿してまで引っ張る理由って何なんでしょうか?別に筆者に恨みはありませんが、教科書会社に聞いてみたいところです。(もし電話したら四回目になりますが、さすがにこれはちょっと憚られますね。論理的ではなく単なる感情論ですから)

とまあ、長年やっているとどうでも良いようなことに気づいてしまうというお話ででした。姑根性ってこんなのかしらん?(やべ、またセクハラしてしまった!最近youtubeで「2ちゃんねるの嫁姑のまとめスレ」聞きながら通勤しているものですからつい)

伊坂幸太郎「ヒューマノイド」に関する覚え書き④

さて、現段階までで気づいた伏線について書いてきましたが(今後さらに気づいたことがあったらコソーリ付け足していきますがw)最後にこの作品の「テーマ」について考えてみます。でも、テーマって怖いんだよなあ、人によってどう感じるかなんて様々だから。まぁ無難なところを挙げていくしかないわけですが(「へそ曲がり」を自認する身としては不本意ながら)

まずは前提として、この作品が「(中学2年生の)教科書のための書下ろし」であることから、「そんなにエグいテーマにはしないはず」「中学生に、未来について希望を持たせるようなテーマにするはず」「きちんと伏線が張られ、ヒントとなる文言があるはず」という、帰納法的な考え方で考えてみます。とはいえ、私が考えるに、テーマは大きくふたつです。

その1 「転ぶことはしかたがない。大事なのは自分の力で起き上がることだ」というタクジの言葉から、「中学2年生の君たちは、これからの人生で失敗することが多々あるだろう。だが、それは当たり前のことで、そこから自力で立ち上がり、立ち向かうことが大切なんだよ」という、「わかりやすくも温かい励まし」(まあこれは誰しもが気づくテーマでしょうね)

その2 「飽きることで人間は進歩してきた(人類は進化していた)」はずが、「幼少から飽きずにヒューマノイドロボットに目を向けてきたタクジが、夢を実現させた」ことから、「(失敗しても)自分の興味関心のあることを「そんなばかな」と捨てたりせず、諦めずに、飽きずに続けていけば、きっと夢はかなう」という、定番ではあるが大事なテーマではないか。

 ←「これを貼れ」と言われた気がした(おいおい)

 

個人的な感覚としては、その1が7割、その2が3割くらいに思いますし、これ以上増やしてもボヤけるだけなので、中学校の授業ではこの2つで十分かと思います。

とはいえ、ミステリー畑の作者につき(しつこいけど自分自身古いミステリー好きだったけど、犯人なんか全然当てられませんでしたから)何か私の気づかない「どんでん返し」のテーマが隠されているかもしれませんが、私の読解ではこれ以上は無理でした。もしも他のテーマにお気づきのご同輩がいらっしゃいましたら、ぜひこの浅学な爺いに教えていただければ幸いです。

ではとりあえず「ヒューマノイド」についての記事は終了させていただきます。これからもまた新しい教材についてツッコミを入れるネタがありましたら書こうと思います(というか、3年生の教科書をまだ読んでいないんだけど、ほかにもたくさん新しい教材があるのか?それ以前にそもそも来年度も教師を続けているのだろうか・・・・・・・明日はどっちだ?)

 

「あしたのジョー」の画像を探してたら、何だか見たこともないBL漫画?が出てきたんですけどw 時代は変わったねぇ

 この記事を面白いと思ってくださった方は、

👆よろしれけばこちらもどうぞ

 

 

伊坂幸太郎「ヒューマノイド」に関する覚え書き③

さあて、来週のサザエさんは前回の続きです。今回もボケは期待しないでください。(いい歳の大人ならそれが普通だがな)

11 僕は「失敗や不運に対し、いちいち落ち込む自分」とは違い、「恥を掻く場面でも動揺しないタクジ」に、「憧れに近い思い」があった。「だから」あの日=「転んで絵の具をまき散らした日」に、舌打ちをされ、責めるような言葉を言われて、「耳まで赤く」して「謝り続け」る、「動揺してかっこ悪い」タクジに「失望」したり、あるいは「裏切られた気持ち」になった→後の「怒り、いらだち」につながる

12  失敗したその日に「ロボットのイベント」に誘う「タクジ」の気持ちは?

→①実は近々引っ越しするので最後の思い出?的な

②タクジ側からはおそらく「一番の友達」と思っていた(ドーム場面の「皆さん、友人が来てくれていました」)

③ロボットに同行してくれそうなのは僕くらい?

④謝罪、罪滅ぼし的な気持ち(これはちょっと怪しい)→のんきに見えたのでむしろ火に油を注ぐ?

13 12に対する僕の気持ち いらだち→冷たい声→「それ(ロボット)どころじゃないから(ロボットをサゲる気持ち。タクジほど暇じゃない、という拒絶)」

→(二十歳の六月十日に会おう)→意味の分からないこと(明日すら行かないのに、なぜ数年後?)

→「ロボットを作るなら転ばないようにはするね」→無言で回れ右して去る

→「じゃあ三十歳にしようか」→立ち止まらない

→先生から引っ越しの事実を聞く→「窓の外を眺めながら聞いていた(関心がないという振り、もしくはいらだちのアピール)」

14 引っ越した後で連絡を取ろうと思った(自分の冷たい態度について、後ろめたさを感じていた)

→13は「全く関心がない」のではなく「怒っているポーズ」と取ったほうが収まりが良い。 (ドームの場面「タクジ、あのときはごめん。」=「タクジが引っ越した後、僕は連絡をとろうと思った」の内容)

15 時おり、胸の奥に重苦しいものを感じていた

→タクジのことを全く忘れたわけではなく結構引っ掛かっていた

→わざとでもなく、謝ってもいたのに、なぜあれほどいらだったのか?(憧れからの失望=可愛さ余って憎さ百倍?)

16(カラフルな絵の具が弾ける映像の伏線については教科書に書いてあるので割愛)

17 ドームで開発者(=タクジ)の解説 

①人の形に似ている方が安心感がある→「わかってくれないロボットなんて信用したくない」との齟齬、皮肉? 

②「相手に合わせて反応も変えられます」→「僕」の恥ずかしい気持ちはわかって(合わせて)くれなかったことへの皮肉?(大声で呼ばれる、注目される、大勢の中で名前を呼ばれる)

18 ステージ上のタクジに気づかなかったのは? 

①「中学生のタクジの顔しか知らない」 

②ロボットのカメラの映像が大型ビジョンに→観客席からの距離が結構ある→肉眼でははっきりとわからない

(そもそも「タクジだ」と判断したのは「言葉の引っかかり(声)」が先→ビジョンに大写しになったタクジの顔で確信、と考えられる)

19 18に併せて「ロボットが僕の方を指さし、その後で手を振った」

→「指さし」ということは、同時に「ロボットに付いたカメラ」が大型ビジョンに僕の姿を大写しにしている可能性大(観客席にいる人たちが、僕に注目していた)

=「そのAI機能で人捜しはできないのかな」が伏線の可能性も大(AIで「十数年後」の顔を予想させるのは、少し前のスマホでもできる)

20 「『タクジ、聞いていた話と違うじゃないか。』とあるが、何が違っていて、そのことを僕はどのように感じているのだろうか」(教科書「学びへの扉」の設問)について

違う点その① タクジ「人間の恥ずかしい気持ちを理解できるようにする。」→「この恥ずかしさをわかっているようには、とうてい見えなかった」(「大きな声がドーム内に響き渡った。=タクジ」「そして僕の名前を呼んだ=タクジ」「僕の方を指さし、その後で手を振った。=ロボット」 

※むしろわかっていないのはロボットよりもタクジの方!  

違う点その② タクジ「転ばないようにはするね。」→「転ぶことはしかたがありません。大事なのは自分の力で起き上がることです。」(「器具にぶつかり、ロボットが転倒した」とき)

→故意なのか事故なのかは、明言はできないが、「大型ビジョンに、観客席の様子が映し出された」ときに映った「僕」に気づいて、「意図的に(操作して?)」転ばせた可能性大

→説明とほぼ同時に「久しぶり!」と声を掛けたが、ロボットが転んだ段階で「僕」に気づいていないと不可能。

またタクジは、言い間違いのシーンで、僕が笑われたらすぐに「別の言い間違い」をわざと発表できることから、「機転が利く」ことがわかるので、即興での操作は可能。

違う点その③ 「人間はあえて、飽きるようにできている。~飽きることがなかったら、ずっと同じことをやっているだけになるだろ~」

→タクジはずっと「同じこと=ヒューマノイドロボットを作るなら」をやってきた(のに進歩している=「予想以上に滑らかに歩行している。」) 

つまり、「機能に関連して、三つとも『話が違っている』」ことになる

※イベントに「一緒に行こう」が、「開発者」と観客の立場になっている、なども話が違う一つと言える←生徒の発見

どのように感じているだろうか→「恥ずかしさ→ちょっと怒ってる? 苦笑い?」「懐かしさ」「安堵感(友人が来てくれていました)」「困惑(棒立ちになったまま、しばらく動けなかった)」

※その他いろいろ混じっているだろうが、セリフは抗議の形に見えても、100%不愉快、ではないことを確認→タクジに悪意がないことはわかっている(「無邪気に言い」の表現から)

21 題名「ヒューマノイド」について。本文では「ヒューマノイドロボット」もしくは「ロボット」という表現で、「ヒューマノイド」だけの文言はないのになぜあえて「ロボット」を削ったのか?

①ヒューマノイドロボット、では題名として長すぎる?

②あくまでも僕とタクジの「ヒューマン」のやりとりがメインの話だから「ロボット」を削った?

③結局タクジは、人間ならば「飽きる」はずなのに、ずっと飽きずに「進歩したロボット」を作りあげたし、人間にとって大切な「恥ずかしい気持ちを理解」できていない(ドームでの行動)から、むしろタクジ自身が「ヒューマノイド」的存在、というダブルミーニング?(これはさすがにアブノーマルな読み方という自覚はあります。でもこんな読み方も面白いですよね?ねっ?)

・・・・・・以上、今年初めての教材で読み込みも浅く、やっつけで恐縮ですし、「伊坂幸太郎」という「現役で活躍中の有名作家」の作品をドヤ顔で読解すると、御本人に「全然違うわ、アホか!」と言われる恐怖心があるのですが(伊坂氏がこんな雑文を見ることもあり得ないでしょうけれど)ポンコツ先生なりの気づきやこじつけなどのあれこれをメモしておきます。もしも授業での話のタネとして役立つことがあれば幸いです。

追伸 面倒なので「解説書」は読んでいませんから、「書いてある内容」もドヤ顔で載せてしまっているかもしれませんが悪しからず。それと、こんな感じのポンコツ流読解でよければ、こちらもご覧ください。電子書籍もございます。(あ、宣伝しちゃった)

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伊坂幸太郎「ヒューマノイド」に関する覚え書き➁

では、教科書の文言順に気づいたことなどを書き連ねていきます。参考になれば幸いです。(今回はほとんどボケがありません。こんなの私のスタイルではないのですが)

1 書き出しについて、「約束」という言葉は適切なのか?という疑問

タクジ「ロボットの日、六月十日に、駅前広場で会おう」僕「意味の分からないことを言わないでよ」タクジ「僕がロボットを作るとしたら、転ばないようにするね」僕→無言で回れ右、立ち去る。タクジ「二十歳がだめなら、じゃあ、三十歳になったと気にしようか」僕→立ち止まらない

→僕はわかったとも嫌だとも言っていないのに「約束」と言えるだろうか? という疑問。後に出てくる、タクジへの冷遇に関して「後ろめたい思い」があり、罪悪感からの脳内変換であろうか?

2 「入社して八年がたつけれど、年下の社員の方がしっかりして見えるし、自分の発言に手応えを感じたこともない」

→僕が仕事に対して、自信もやりがいも感じていないことの表現→後に「子供の頃からの夢を叶えたタクジ」の、充実した現在との対比を表す重要な伏線

3 昔を思い出すキーワード「人間は、恥ずかしいと思うようにできていますから」→「恥ずかしがる」についての場面よりも、「飽きる」場面の「人間はあえて、飽きるようにできている」の方が表現として似ているのは?

→この段階ではきちんと思い出していなかったので、無意識のうちに内容を混合して口走ったか?

(→ここから何度も「会議に集中せず、回想にふける表現」が続く)

4 十数年前、中学2年生(←2年生の教科書への「書き下ろし」だから、が根拠)

→入社して八年(22歳大卒?)で三十歳。整合性〇

5 教室でたわい=他愛もない話の内容が「ヒューマノイドロボットを作るなら」であること。「特別仲がよいというほどでもなかった」のにこの話ということは

→おそらく「こんな話を聞いてくれるのが僕ぐらいだった」ということの現れであろう。(タクジに友達がいなかったわけではなさそう→「連鎖反応です」の時に教室を沸かせていた)

6 飽きる機能のところで、最初は大げさ、呆れ、何をばかなことを、と思っていた僕が、勉強に飽きると「人間が誰しももっている機能かもしれない」と「考えるように『は』なった→限定の副助詞「は」を入れている。

※「人間は進歩」→「人類は進化」と、しれっと作者が書き換えることによって「大げさ」感を出させている?

→後の「転ばないように『は』するね」と同じ意味合いを持たせたもの。つまり「それ以外はともかく」飽きる機能は人間だれしももっている(6参照)、「それ以外はともかく」転ばない機能だけはつける、という「対象を絞らせる」表現を、あえて二箇所で使った、と見るべき(※ただしどちらもドームの場面で覆される)

6「人間は飽きるようにできている」はずなのに、子供の頃から「飽きることなく」ヒューマノイドロボットひと筋のタクジ

→「聞いていた話と違う」その1

7 僕が見間違いで同級生に声をかけた場面

 「からかわれるにちがいない」と覚悟したが、タクジは「真剣な顔」+言い間違いの場面「真面目な面持ち」

→僕が恥ずかしさを感じる場面ではからかったり笑ったりしない→フォロー、思いやり?(教室で言い間違いをした時と同じ!)

7 人が恥ずかしくなる状況の例について 

①人を見間違って声を掛ける→ドームでタクジから大声で呼びかけられる 

②人前で転ぶ→(タクジ&)ロボットが転んで会場をはっとさせる 

③大勢の前で名前を呼ばれる→ドームでタクジに名前を呼ばれる 

④目立っただけでも恥をかく→ドームでロボットに指差され手を振られ、観客の注目を浴びる 全てドームで伏線回収

8 「恥ずかしい気持ちを理解できるようにする」は、タクジとロボットによって、7ですべて「わかっているようにはとうてい思え」なくなる

→「聞いていた話と違う」その2(「そんなこともわかってくれないロボットは信用したくない」は皮肉?→「安心感」との対比)

9 「恥をかいたことで泣く人もいれば(タクジ?)怒る人もいる(級友&僕?)」

→絵の具のシーンの伏線?

10 僕が言い間違いをし、級友から笑われて「顔を引きつらせ、弱々しい笑みを浮かべる」と「すぐに」タクジが「手を挙げ」「別の言い間違いをした」「連鎖反応です」と「真面目な面持ち」で言い、「どっと沸いた」

→天然ボケではなくて、弱っている僕への注目を自分に引きつけてフォローする「意図的な養殖のボケ」(意図しない天然ボケ=絵の具のシーン、では「耳まで赤くなっていた」)

 こんなTシャツも売ってるんですね。

ここまでほぼ「ボケ無し」で1900字も使ってしまいました。続きはまた近々アップしますが、正直初めての教材で「ゲリマンダー的我田引水」がいつも以上に激しいかと思います。異論反論オブジェクションお待ちしております。それではまた。

伊坂幸太郎「ヒューマノイド」に関する覚え書き①

教科書の題材で、三浦哲郎の「盆土産」が消え、今風の伊坂幸太郎氏の小説に変わっていました。まあ年齢的には今回教えて終わり、でしょうし、どちらかというと「盆土産」の方が「古き良き昭和」テイストで好きだったのですけれども、仕方の無いことです。そもそも私は伊坂氏の作品を「ひとつも」読んだことがないので恐縮ですが、ミステリー畑の方らしいし、教科書にも「伏線と結末の関係を読み解き」とあるので、気づくだけ探してみるとしましょう。(光村図書2年生の書き下ろしなので、読める方は多くないと思います。したがって、「さっぱり何言ってんのかわからん」でしょうが、「数少ない国語教師の御同輩」の参考になれば、と思って書いておきます)

読む機会のない方向けの【あらすじ】

三十歳の会社員の「僕」は、今ひとつ仕事に自信が持てず、手応えを感じられずにいた。ある日、失敗して「恥かいちゃった」と嘆く先輩に「人間は、恥ずかしいと思うようにできていますから」とフォローした時のセリフで、中学生の時の同級生「タクジ」のことを思い出した。「三十歳の六月十日(ロボットの日)に駅前広場で会おう」という「約束」で、今日はまさにその六月十日だった。タクジとは特別仲が良いわけではないが、よく他愛もない話をしていた。タクジは何かというと「僕がヒューマノイド(題名)ロボットをつくるなら」という前提の話をする。その①僕が「ゲームをしていてもすぐ飽きる」と言うとタクジはロボットに「飽きる機能を付ける」という。なぜなら「人間は飽きるから新しいことをやるし、だから進歩してきた」からだと。おおげさだ、何をばかなことを、と思った僕だが、自分が勉強に飽きたときに、「一理あるかも知れない」と考えるように「は」なった。②僕が人を見間違えて声をかけてしまい、恥ずかしがっているのを目撃したタクジは、からかうでもなく、「なぜ人は恥ずかしい気持ちを持つのか不思議だ」と真剣な顔で話しかける。タクジは、人前で転んだりして恥ずかしい気になる人間の機能は、失敗を繰り返さないための機能だと結論を出す。僕は失敗だけでなく、大勢の前で名を呼ばれるなど目立つだけでも恥ずかしい、と言うと、タクジは「ロボットに、人間の恥ずかしい気持ちを理解できるようにする」といい、それがわからないロボットは信用したくない、という。さらに僕は別のことを思い出す。授業中に言い間違いをして恥ずかしいく思い、弱々しい笑みを浮かべるとタクジがすぐに手を挙げ、別の言い間違いをし「連鎖反応です」と真面目な面持ちで言い、教室がどっと沸いたことがあった。僕は当時、失敗や不運にいちいち落ち込む自分と違い、恥をかく場面でも動揺しないタクジに「憧れ」に近い思いを抱いていたのかもしれない、と思い至る。だからそのあとのある事件であれほど腹を立てたのだろう、と考える。美術に時間にタクジが転んで、誰かの絵の具を踏み潰し絵の具が飛び散った。慌てて立ち上がろうとするがまた滑って転び、絵の具がさらに教室中に飛び散り、みんなで大掃除になった。タクジは耳まで赤くなり謝ったが、僕はタクジの顔を見ることができなかった。その日の放課後、タクジが翌日の六月十日に、駅前広場のロボットに関するイベントに行こうと誘ってきた。ぼくは冷たい声で拒否し、それどころじゃないと答える。タクジは寂しげな表情で「じゃあ二十歳になったときに」と続けるが僕はさらに冷たくあしらうと、タクジは③「ロボットを作るとしたら、転ばないように「は」するね」と言うが、僕は無言で回れ右をし立ち去る。タクジは「じゃあ三十歳のときに」というが、僕は立ち止まらない。その翌週、タクジが皆に内緒で引っ越したことがわかった。ぼくはその説明を窓の外を眺めながら聞いていた・・・・・・

(回想から戻り)仕事が終わると外は暗くなっていた。帰宅の途中でまた思い出すのは最後のやりとりの自分の態度である。後ろめたさを感じていたが、向き合わずにスルーしていた。だがタクジはわざと転んだのでもなく、謝っていたのを思い、あの時のよくにたディスプレイ広告に背中を押され、駅前広場に行くことにした。まだロボットのイベントは開催中で、中に入ってみるとステージ上で人間とロボットがキャッチボールをしていた。僕はタクジの姿を探すが見つからない。しばらくロボットの滑らかな動きを見て感心していたが、帰ろうとしたときにステージでロボットが転倒した。開発者が「転ぶことはしかたがありません、大事なのは起き上がることです」と説明すると同時に「久しぶり!」と声を掛けてきた。さらに「元気だった?」と呼びかける。開発者はタクジだった。「皆さん、友人が来てくれました」と僕の名を呼んだ。僕は「タクジ!」と叫びたかったが声が出ず、「あのときはごめん」と伝えたいとあせる。僕は会場中の注目を浴び真っ赤になっていた。

(原文ママ)こちらに手を振るヒューマノイドロボットは、この恥ずかしさをわかっているようには、とうてい見えなかった。タクジ、聞いていた話と違うじゃないか。

以上、あらすじにしては長くなってしまいましたが、この教材についての覚え書きを次回から数回にわたり書いていきますので、参考になれば幸いです。(また、誤読や別の解釈があればぜひお知らせください。教科書の「読む」にも「自分の解釈を語り合おう」とありますので)

尾籠な話で恐縮ですが・・・・・・・(しのつ公園キャンプ場その3)

 

はい、おはようございます。例によって4時半とかに起きてしまいました。テントが朝露だらけです。しばらくは寝袋の中でぐだぐだしていたのですが、結構冷えたのでまた尿意をもよおしてきました。テントを出るのが億劫なのですが、もしまた間に合わなくてこのダウンパンツまで濡らしてしまったら、もう絶体絶命ですので、我が身に鞭打って(それほどのものかよ)道の駅のトイレに行き、もどってきてから朝食の準備にかかります。もはやルーティーン化しつつある「朝ラー」ですよ。今回は家にあったどこのメーカーとも分からぬ味噌ラーメンです。味噌と言えばコーン、ということで昨日のトウキビの残りと、カット野菜を茹で、さらにチャーシューならぬベーコンの残りも焼いておきます。

  

 

二郎系ほどではないけれど、野菜マシマシでカロリーゼロ理論により罪悪感無しでワシワシといただきました。コーンは正解でしたね。満腹になったところで、入浴券を使いに行きます。朝6時から入れるけれど、すでに6時半を過ぎていました。

 

朝風呂を堪能し、テントに戻ってコーヒーを飲み、ちまちまと片付けに入ります。

 

さて、帰りの車中で考えたこと。①距離的には良い感じだが、チャリで来て薪を購入するのは高くつきすぎるので却下(ケチくさいですが、5000円ルールは守りたいのです)②焚き火エリアは、水はあっても洗い場がなく、トイレも遠くて結構不便、なので次回は焚き火エリアは無し③道の駅の産地直販の店を見なかったのはしくじった④というか、まぁこのキャンプ場はもういいかな⑤不慮の事故に備えて、最低限の着替えは用意すべし。アウター(ズボン)も含めて⑥このままではチャリキャンに行けないまま終わってしまう(通勤には使ってますけど)ので、何とか一度は行きたい。焚き火無しのミニマム装備も見直したい・・・・・・ところが、北海道かなり寒くなってきてるのですよ。危うしチャリキャン!やれるのかおいっ!(by A猪木)それではまた。

 

 

尾籠な話で恐縮ですが・・・・・・・(しのつ公園キャンプ場その2)

 

ということで、芋を水に浸すこと10分。キッチンペーパーでちょっと乾かして油で揚げてみますと、まぁこんなんなりました。わかってはいたけど、厚さによって全然揚がり具合が違う。グルメ番組でよくある「外はカリカリ中はジューシー」ならぬ、「右半分カリカリ左半分モチモチ」という、なんだかよく分からない仕上がりになってしまいましたよええ。とはいえスタッフが美味しく(?)いただきましたけど(まあ胸焼けがすること。ジャガイモ3個は多かったなあ)

 塩胡椒をかけて食す。見た目はそこそこなんですがね。

これを食べながら例によってぼーっとyoutubeなど聞いておりましたら、急に尿意を催してきまして。これはいかんとトイレを探す。道の駅にあるのは確かなのですが、たぶん目の前の展望台になるに違いないと向かいますと(どう見たってトイレありそうですよね?ねっ?)

 

なんということでしょう。本当にただの展望台で、トイレなどないじゃありませんか!そんな間にも尿意待ったなしになってきまして、いそいで道の駅のトイレに向かいました。(最初から向かっていればあの悲劇はなかった。以下尾籠な話になります。グロ注意!)

もう先っぽまで出かかっている! シッコ猶予が付かない!という切羽詰まった状況で駆け込んで、やれうれしや、慌てて粗末な物をひっぱりだそうとしてチャックにひっかかり・・・・・・はい、ズボンにたっぷりかかってしまいましたとさ。とほほん。

いい歳してみっともない話ですが、このズボンですごすのは嫌だな。もう帰ろうか、などと思ったところで天の助け!今回自家用車だったこともあり、寒かった時用にダウンパンツを持ってきていたっけ!ということでなんとかキャンプを続行することができましたとさ。どっとはらい。(以上、尾籠は話はおしまいです)

さて、テントに戻りまして何をしたかというと焚き火の準備です。ジョイフルA〇で買った薪を出してみると、なんか思ってたのと違う。以前の月形で買った薪とも違う、ゴツイのが6本だけ入っているのですよ。出したらこんなの。

 

必死のバトニングでなんとか小割にし、焚き火を開始します。例によってまずはトウキビから。一時期99円とかで売っていたのですが、今回の生協では、また200円近くしてましたし、そもそも何だかしょぼくれたトウキビでした。

 

生協には猛省を促したい。これを半分食べて、残りは明日使うつもりです。何やかやで日も暮れて、結構肌寒くなってきました。むしろダウンパンツで良かったくらい(負け惜しみ)晩ご飯はまた手抜きのおでんです。しかし、本当には御飯を炊いてそのおかずにする予定だったのですが、食が細くなっておでんだけでもよくなりまして(そもそも2~3人分)カット野菜もぶちこんで焚き火を見つつ夕方半分たべ、残りは暗くなってからラジコで野球中継を聞きつつちびちびと食べていきます。

 

 

さすが2~3人分。もう満腹ですよ。野菜を入れたからゼロカロリーだし(おいおい)ということでもう9時半には眠くなってしまい、寝袋でyoutube聞きながら寝てしまいました。けっこう冷えたけれど、ダウンパンツのおかげで暖かく過ごせました。これを俗に「怪我の功名」「禍転じて福と成す」「終わり良ければ全てよし」と言うのでしょうかねえ(違うか)ではお休みなさい。

 

尾籠な話で恐縮ですが・・・・・・・(しのつ公園キャンプ場その1)

題名にもありますが、今回かなり尾籠な話が入りますのでご容赦ください。さて、距離的にはちょうど良い温泉付きキャンプ場の「しのつ湖キャンプ場」でしたが、「焚き火ができない」ためスルーしていました。ですがいつの間にか、「焚き火エリア」ができていまして、これは一つ行ってみるべぇかと思いまして、ジョイフル〇Kで薪を買い(3kg700円強とお買い得だったのですが、まぁそんなウマい話はないことが後にわかりますが)自家用車で出発しました。11時チェックインで、30分ほど前に付き、チェックインしたところ「土日の受付は受付はこちらではない」と、けんもほろろに(嘘です。たいそう申し訳なさそうに)案内されまして、そちらに行こうと思ったところ・・・・・・

 

なんということでしょう、普通に薪を売っているじゃあーりませんか!これだったら自転車で来れたよ、とほほん。

 

焚き火エリアといっても、普通に芝生でした。焚き火シートはマストということでしたが、正直あちこち焦げ跡はありましたけどね。で、結局「受付」は焚き火エリアとは逆サイド、展望台の遙か向こうにありまして(伏線1)

 

受付枠は200張りということでしたが、ここでちと意表を突かれまして。ネット予約の段階で「焚き火エリア入浴付き」で予約し、カードも落ちたのですが、ここでさらに「焚き火エリア使用料」を別途1000円徴収されたのです。予約の方は入浴1回付きで2000円でしたから、まあリーズナブルでしたが、エリア使用料1000円、さらに薪を買ったら1000円で、しめて4000円ナリ、となるんですね。ケチるなよ、とお思いでしょうが、「しめて5000円以内」を老人の趣味としての区切りと考えているので、食費を入れると完全にオーバーします。ということで、当初「自転車で来て薪を買うのもいいな」という考えは改めることにします。他にもお焚き火エリアの不便な点がありまして炊事場が果てしなく遠く(水飲み場的なものはある)、見たところトイレがそばにはない(伏線2)など、自分のスタイル(笑)には合わないかと思いました。

で、テントに戻って昼食です。最近投薬の影響もあり、以前と比べ食欲がかなり減退していまして、昼はベーコンエッグパンを2枚とコーヒーです。

 

映ってはいませんが、前回の反省を生かし、st350用の五徳?をポチりまして、かなり快適になりました。

 

さて、今回のミッションは前回に続き「揚げ物」です。芋を薄切りにして、ポテトチップスを作ってみよう、という目論見ですか、それに使う今回の新しい道具その2がこれ

つい先日届いたのでうれしくて持ってきましたUjackさんの「膳刀」です。「浸刀」とあわせて、結構Ujackさんには貢いでおります。一種の推し活ですかね。切れ味は、まあいいです。BACK110とも違う感じで、切れ味はどっちも良いですが、野菜を切ったりはこちらのほうがやりやすいですね。 

 

芋の皮を剥き、できるだけ薄切りにして、といってもこんな程度ですが、なにやら10分ほど水にさらしておくらしい。なんだかしゃらくせえけれど、いちおうスマホにしたがってみますよ。さてどうなるやら乞うご期待。続きは明日の心だぁ~。

 

お盆明けの手抜きキャンプ(のはずだった)その3

風呂上がりで風に吹かれて整ったところで、新機軸の揚げ物に挑戦します。ジャガイモを適当に(これが良くなかった)切り分けまして、これまた新しい道具の、シェラカップに入るザルを使って揚げてみよう、ということです。(ただ、今にして思えば揚げる時間などを調べればよかった。何の為のスマホだよ)

 

シェラカップを直接焚き火に、となると後々煤けて酷いことになるのは覚悟のうえです。油もそんなに大量にあるわけでもなし、(というかケチった)飯盒の蓋でやる手もあったのですが、ザルを使いたかったのですよ。(本末転倒の気配がプンプンします)

で、とりあえず何となくの雰囲気で揚げてみました。油に火が入ることもなく、ジリジリと揚がっています。

揚がった(っぽい)ものに塩コショウを振り食す。・・・・・・ビミョー。いや、旨いんだけど、なんというか揚がり具合がバラバラで、全体的に堅め。やっぱり油に火が入ったら嫌だな、とビビってしまったのが敗因ですね。きつね色になるまで待たずに揚げてしまった。でもまあ、これはこれでいいかな。とりあえずジャガイモ2個分を夜食として腹に収めたら(途中で飽きたのは認めます)テントで横になりまたYOUTUBEを聞いているうちに寝てしまいました。さて翌朝。また焚き火で調理ですよ。考えたらほとんど焚き火で調理しているヒロシさんとかやっぱり凄いんだな。(でもあの人の服もきっと焚き火臭でえらいことになってるんだろうな。だいたいいつも同じような服着ているし)

テントから出て見ると5時すぎでした。本来あまり早くからゴソゴソするのは迷惑なんでしょうが、周りに全然人がいなかったので早速火を焚きます。

 

朝食のベーコンエッグトーストですが、計画では焚き火の下でパンを、並行してST350でベーコンエッグを焼き、合体させるとともにすかさずST350で湯を沸かしコーヒーを入れ・・・・・・と思っていたのですが、全て焚き火でやるしかない。まずはトーストを焼くと同時にお湯を沸かし、さらにフライパンでベーコンをカリカリに焼いてトーストに乗せる間に目玉焼きを焚き火の下で温めて合体、という手順を(当然手際よくなんてできませんよ。薪をくべながら、もたもたしながらです)火の具合が一定じゃないので、なんだか目玉焼きが変な感じになりましたが、最終的には無理矢理形にしましたよ。

 

優雅な朝食にはほど遠いドタバタでしたが、何とか全ての薪を消化し、揚げ物も出来たので、今回のミッション自体はコンプリートいたしました少佐!当方の被害はやけど2箇所、切り傷1箇所、虫刺され2箇所と軽微であります少佐!よろしい、ならばクリークだ。(誰だよ一体)さて、帰るか、というころにぱらぱらと小雨が降ってきました。びしょ濡れになるレベルではありませんが大急ぎで撤収し、帰る頃には道が黒く見えるレベルの雨になったので、タイミングとしては上出来だったかと思います。

さて、今回思ったのは、「焚き火は面白いけれども、あまりこだわる必要はないかな」ということです。焚き火はキャンプの暇つぶしには最高なのですが、ちょっと「やらねばならぬ」という強迫観念のようなものに囚われていた気がします。それと最大の教訓「ガスは切らすな」当たり前なのですが、以前OD缶を使っていたときはもっと長持ちしていた印象だったので甘く見てしまいました。文字通り「油断大敵」でした。(誰がうまいこと言えと)次回は長いCB缶を持っていくこと。それから自転車の時は焚き火を端から諦めることも考えるかな。それだけでもだいぶ荷物が減るし。

お盆明けの手抜きキャンプ(のはずだった)その2

薪に火を付けてみたのですが、まぁかなり風が強く、なおかつ座っているこちらに向けて容赦なく煙が吹き付けてきます。土日のように周りにテントが密集していたら、正直焚き火が躊躇われるレベルの風ですよ。写真でお分かりでしょうか?まずはおやつの時間として焚き火にトウモロコシを放りこみます。

 

なかなかいい色に茹で?あがりましたよ。旨かったですが、何と言いますかトウキビ高くなりましたね。数年前なら百円そこそこで売っていたのに、倍の値段ですよ。庶民のおやつとは言いがたいですね。それにしても、以前から疑問に思っていたのですが、「トウキビ」は「唐黍」だとして、「トウモロコシ」っておかしくないですか?漢字にすると「唐唐」になるんですかね?なんて下らないことを考えながらうだうだとYOUTUBEを聞きながら時間を過ごし、6時半頃やっと陽が傾き、薄暗くなったところで夕食のラーメンを食べることにします。具はナポリタンに入れ忘れた玉葱を切って入れることにしました。先に湯を沸かして玉葱を茹でることにします。で、ここで起きた惨劇(伏線回収)

 

このst350という器具、いつも使っていた小さなバーナーと比べて、低いしコンパクトなのはいいのですが、支えが三本なせいもあり、上手く乗せないとバランスをすぐ崩すんですよ。しかも滑る。フライパンは底面積が大きかったのもありあまり感じませんが、この雷鳥飯盒はどうも相性が悪いようで、ちょっと触れただけでもひっくり返ってしまいまして、お湯と玉葱の半分以上が地面に溢れてしまいましたよ。とほほん。二枚目の机を見たら、濡れているのがお分かりになるかと思います。また一からお湯を沸かし直してラーメンを入れて・・・・・・と思ったら「何ということでしょう」ガスが無くなってしまいましたよ!(伏線回収2)麺を入れる前だったのが不幸中の幸い。さてどうする?今回はアルストも持ってきていないし。以後全て焚き火でやるしかない、と覚悟をきめましたよ。大急ぎで火を焚きまして(ここでDCMのスティックバーナー大活躍!持ってきて本当に良かった)

 

 

取りあえず何とかなりまして、すすり込んでから薪が消えるのを待って温泉に入ります。歩いてすぐなのでとても助かる。それにしても、体を洗ってから改めて気づくのですが、焚き火の匂いって凄まじく体に染みこみますね。髪の毛はもちろん、メガネや時計にまで。とはいえ今日は全て焚き火でまかなうしかないわけで、さて、夜食の揚げポテトをどうするか。焚き火だと油に引火しそうでちょいと怖い。でもまあ、やってみますか、ということでその3に続きます。




お盆明けの手抜きキャンプ(のはずだった)その1

相変わらずの生存確認ブログです。

お盆明けの平日、夏季休暇をとっていまして、まだ今シーズン一度もキャンプに行っていないことを「心憂く覚えて、あるとき思ひたちて車より詣でけり」と兼好法師が言ったとか言わないとか。といってもいきなり思いついて行けるキャンプ場も限られるので、予約なし温泉付きの「月形皆楽公園キャンプ場」に出かけることにしました。今回のミッションとして2つ。その1「いつ買ったのかも思い出せないほど昔の薪を焼いてしまおう」、その2「揚げ物をしてみよう」という企てです。食材は当別の町のアークスで買い込みました。メニューは①ミニトマト➁ナポリタン(昼食)③焼きトウモロコシ(おやつ)④袋ラーメン(夕食)⑤揚げポテト(あえてフライドポテトとはいわない 夜食)⑥ベーコンエッグトースト2枚&コーヒー、と相も変わらぬ献立を考えて購入したら、なんだかんだで2000円くらいになってしまいました。毎度思うのですが、2000円とかあればちゃんと美味いものが食べられるのになぁ、と。

 おとっつあん、それは言わない約束でしょ

まあ趣味というか暇つぶしでやらせてもらってるので、なんやかや5000円以内ですませたいところなんですよね。今回はキャンプ料金は1500円+300円(自転車だともっと安い)、それと入浴料650円でしたから、5000円では収まっていますが(ガソリン代?何それおいしいの?)で、ついてみると「何ということでしょう」平日ということもありスカスカですよ。さっそく設営です。今回は冬の間にポチったエアーマットを使ってみます。(足踏みで空気を入れる式の。ちょいと枕が高すぎた)

 

風が強かったのでテントを立てるのに結構手間取りました。やっと設営が終わって一息入れ、コーヒーブレイクwithプチトマト。

 

風が強いのでさほど暑さを感じることもなく、雲も適度にあっていい天気です。しばらくぼーっとしていたらお昼になりまして、前回に続いてで恐縮ですがナポリタンを作ります。今回は最初からモンベルのフライパンでやります。前回の轍は踏まないのだ。人はこうして成長するのだ。(ドヤ顔するほどのことではありませんが)

 

 

 

何かで見たけれど、「先にケチャップを入れて焦がすと風味が出る」とかなんとか。でもあれですね。薄いアルミのフライパンだと焦げるだけですね。しゃらくせえ。ということで何とか形になりまして、満足・・・・・・あれ?何か物足りない、あっ!玉ねぎ入れるの忘れたぁ!とほほん。かくて玉ねぎはラーメンの具になりましたとさ。で、ですね。ここまではSOTOのST350がすごくいい働きをしてくれたのですが、実は後々とんでもないことになりまして(伏線1)

 

今回思い立って、(仕事ではない)書き物もしてみました。家でやれって話ですけれどね。

で、飽きてきたところで今回のミッション1「おそらく湿気っているであろう去年?の薪を焼きつくせ」にとりかかります。まずは大量のフェザースティックを作ってみたのですが、やはりアルファテックさんみたいにできないんですよねこれが。

 

ぱっと見そこそこ良さそうに見えるかも知れませんが、まあファイアスターターでいくら擦ろうともニンともかんともうんともすんとも。やっぱり湿気ってるんでしょうな。

 

結局は最終的にバーナーでつけるというお粗末だったのですが、実はバーナーを持ってきたのが大正解!というか命綱!さて、その理由とは?(伏線2) 次号に続く

生存確認レベルのエスコン観戦記

というわけで何とか生きてます。お待ちかねの夏期休暇となりまして、2ヶ月ぶりのエスコンフィールドです。まぁすがすがしいほどの晴天で、暑すぎもせず今日は勝ってもらいたいですね。観戦は今回で5回目ですが、やっぱり負け試合を見るのはちとスッキリしない。まあ贅沢な話ですが。13時試合開始で、到着は11時半ころ。車を止めたところちょいと歩いて、12時ころに昼飯にしよう、ということで前回と同じくお好み焼きですよ。

 

この電光石火ってやつを頼んで待つこと・・・・・・はて、どれくらいでしょうか。何と言うか若いあんちゃんが2人、まぁべらべらと店員としゃべるわ食べ終わっても何杯も酒かっくらってるわ。正直どこか町のお好み焼きやだったら「お好きにどうぞ」というところですが、たった9席しかない店で、しかもわれわれの後ろにも十数人並んでいるのが見えないかね。年取ったせいもあってか、狭量と言われようが結構イライラしながら待っていて、やっと居なくなったと思ったら、間もなく着席できましたよ。店員の後片付けもそれほどテキパキという感じでもなく、「次回はどこか別の所にしよう」とか思いつつ、目の前の「広島風お好み焼き」に手を伸ばします。

 

まあ、旨かったんですが、何やかや言って食べ終わったら試合が始まってましたよ。鈴木〇美の始球式見たかった・・・・・・というのは嘘ですが、取りあえずファイターズの攻撃からは見ることができました。

 

いきなり1点取ったと思ったら、すぐに1点取られました。山﨑がんばれ!

 

と思ったらまた取り返す。なかなか良い感じですよ。

 

なんだかちっちゃい子がたくさん出てきてほっこりしてます。有園選手が大活躍で、ホームランまで出ましたよ。あと3ベースが出ればサイクルヒット、という(さすがに無理でしたが)すごさ。さらにあまり調子の良くなかった清宮選手も2点タイムリー。さらには万波選手にもホームランが出たのですが、目が悪くなったのか、動体視力が鈍ったのか、ホームランのボールを目で追うことができませんでした。とほほん。

 

最後は上原選手がしっかり締めてくれ、スッキリした気分で帰路につきました。

次はまた2ヶ月後ですが、その時は何を食べようかな、と今からちょいと楽しみであります。というか、全然キャンプに行けていないので、何とか夏休み中に1、2回は行ってその模様をアップしたいと思います。取りあえず生きてますw

 


 

 

 

 

 

 

「アイスプラネット」についてその3?

先日、「アイスプラネット」の授業を終えて、このことについて触れていなかったな、と思い出しましてちょいと書かせていただきます。国語の話題はえらく久しぶりになりますが。

国語で生徒が苦手意識を持つ項目はいろいろあります。まずは漢字。その次くらいが「登場人物の気持ちを読み取ろう」という読解だと思います。喜怒哀楽の四つに分けるくらいでも結構苦労するので、「泣いて馬謖を斬る」思いで(大げさだなおい)アイスプラネットの授業では、「ぐうちゃんに対する気持ちがプラスなのかマイナスなのか」の二択で考えさせる授業をしてきました。(さすがにこれ以上シンプルにはできない)

そうすると、第一場面では概ねプラスイメージなのが、第二場面マイナスがどんどん増えてきて、第三場面ではほとんどマイナス、ただし最後に歩み寄りを見せて、第四場面で和解しようとしたのに、思いがけぬ誤解に気づき逆ギレ?して断絶、そして最後は「何と言っていいのかわからない」複雑に入り交じった気持ちになる、という大まかな流れくらいは掴めるようです。

さて、そのプラスマイナスを考えるのにあたって、非常に重要な働きをするのが「逆接」の接続語です。プラスなのかマイナスなのかが微妙なときに、接続語の前後を比べることで自然とはっきりしてきます。

例1 「だから、僕はぐうちゃんのその表情が好きだ。(明らかにプラス)」→「でも、今日は話のテーマがちょっと幼稚すぎる。(マイナス)」

例2「うっかりぐうちゃんのほら話の世界にとりこまれてしまいそうになる。(微妙だが後ろがプラスだからマイナス)」←「でもその怪しさがやっぱりおもしろい。(明らかにプラス)」

例3「宇宙の話は好きだ。(明らかにプラス)・・・・・・」→「ところが、ぐうちゃんの話は、地球の中の宇宙の話だった。(微妙だが前がプラスなのでマイナス)」

例4「・・・・・・またからかわれてもいい・・・・・・今度は寒い国の話が聞きたい感じだ。(明らかにプラス)」→「ところが、ぐうちゃんの話は・・・・・・これからまた外国をふらふらしてくるよ。(このあとの表現と合わせてマイナス)」

最初の二つくらいを指摘すると、鋭い生徒は気づき始めますね。それともう一つ、以前にもちらとふれましたが、「~しまった」の意味合い、つまり「そのことを残念に思っている、あるいは同情している」のだと分かれば、微妙な表現もプラスなのかマイナスなのかが分かりやすくなります。

例1「いつのまにか『ぐうちゃん』というあだ名になってしまった。」→なったことを軽く同情しているのでプラスイメージ

例2「つい吉井と今村にその話をしてしまった。」→したことを後悔しているのでマイナスイメージ

例3「僕までほら吹きになってしまったのだ。」→分かりやすく後悔しているマイナスイメージ

例4「いそうろうを卒業してしまった。」→これをマイナスととる生徒が結構多いが、卒業することを残念に、あるいは寂しく思っているのでプラスイメージ

例5「『いそうろう』がいなくなってしまった部屋の前で・・・・・・」→例4同様、いなくなったことを残念に思っているので(八つ当たりの意味もあるけど根本は)プラスイメージ

ということで、「逆接の接続語」と「~しまった」が、僕の感情を読む重要なキーワードだ、という前提で授業をしています。参考になれば幸いです。

もうひとつ、何度も出てくる「ありえねえ」も大事なキーワードですね。むしろテーマに直結する鴨知れません。以前に書いたときに「氷山の一角」のことわざ?慣用句?を知らない生徒が非常に多いことをボヤきましたが、これに関する伏線に気づいていた生徒はさらに稀少だということがわかりました。すなわち、父のセリフの「・・・・・・由起夫君は若い頃に・・・・・・日本の中にいたら気がつかないことがいっぱい見えているんだろうね。・・・・・・」が暗示する、「世界では、氷山同様に実際見えていることより見えていない部分の方がずっと多い」ことにつながっていることを、授業の最後に示すと生徒は感動・・・・・・しないで猫ミームみたいな顔になるんですよねこれが。残念!

 

   はぁ?

 

することもなきGWのタト食反

GWの後半晴れたので、思い立って今年初の発寒川緑地へ。別に行かなくてもよかったのですが、使って見たかった道具1~5があったのでいそいそと。

 

さてその新道具(ニューギア、と言うのは照れる)その1 ネイチャーハイクのテーブル

 

これは軽いしかなり使い勝手がよかったです。その2 ↑ これ何だかわかります?

 

だれかのYouTubeで見たのですが、セリアのタッパー?的なのにジャストフィットの、SOTOの新しいバーナーです。今日はこの新道具2のバーナーだけを使って昼飯とします。簡単なところでナポリタンを(というかこれ以外作れない)

 

と・・・・・・簡単と言っておきながら大失敗。具が多すぎた!というところで新道具3

 

ダイソーのブランド?「STANDARD」のケース330円(だったかな?)以前のケースよりかなり小さいので良し、と。で、ここでまた文字通り誤算。具が多すぎて本当はマルチグリドルで炒めようと思ったのに乗り切りません。仕方がないので雷鳥飯盒の蓋で炒めます。次にパスタを茹でまして。(4分ってあっという間ですね)このザルも新道具4です。大きい方のシェラカップに合うので、いずれ揚げ物もしたいところです。(というか、ダイソーの1.5合メスティンに入るザルも買っていたので、そっちを持ってくればよかった)

   

 

このケチャップも100均で買いました。で、ざっくりと炒める、というかかき混ぜて

 

・・・・・・マルチグリドルは、お皿としてちょうどよかったです。(おいおい)お味の方は・・・・・・まあ、誰がどう作ってもこんな味にはなるな、程度のウマさでした。個人的には満足です。で、コーヒーを入れてきたのが新道具5。 焦げ茶色のコーヒーの粉入れ? これはYouTubeの「ランバールームコーヒー」さんが使っているのを見て、似たようなものを買ってみました。いえ、別に必要はないんですけど、何となく直射日光や乾燥を防ぎそうでカッコよかったから(テヘペロ)

 

つくづく良い天気で、コーヒーが旨かったですね。新道具の使い勝手も何となくわかったし。とはいえ、皮手袋は忘れるしウエットティッシュも忘れるし、あるしくじりで靴は焦げるわと、かなりのダメージもありましたけれど。さて、次回は宿泊キャンプができるでしょうか。それでは、さよなら、さよなら、さよなら・・・・・・(しかし、こちとらもいつの間にか、淀川さんの年齢にかなり近づいてきたなぁ)

記事を消したいきさつをば

前回書きましたが、このブログの中心(のはず?)の「国語の教材についての話題」の大部分を消しました。(というか下書きに戻しました)なぜそのようなことをしたかというと、実は「幻冬舎」さんとご縁がありまして、ブログの原稿をもとに「自費出版」したのです。

 

退職金を使っての「自費出版」ですので、いわば「金ずく」なゴリ押しなのは重々承知ですが、それでも生涯の夢のひとつ、「自分の本を出版する」ことが叶って感無量です。数は少ないですが、札幌市内で結構な数の本屋には置いてもらうことができました。

 

もちろん、ニッチな内容ですし、バズって爆売れするようなことは期待できないでしょうが、それでも教育大学や北大の生協に置いてもらったので、将来の国語の先生の何人かが手に取って笑って参考にしてくれればありがたいと思います。それに、いかに「自費出版」とは言え、幻冬舎という名の知れた出版社が、幻冬舎名義で出してくれたと言うことは、社の汚名になるような内容ではない、あるいは刊行の価値あり、と認めてくれたと考えます。このブログで触れていたお下劣な内容はほとんどカットしてあります。公序良俗に触れるような部分は・・・・・・表紙くらいでしょうかw

 

ですから、以前このブログに書いていた「少年の日の思い出」「走れメロス」その他の教材についての内容はほぼこちらの本に移してありますので悪しからずご了承ください。恥も外聞も無く言えば、「なんやかや言っても売れてほしい」んですよ。特定の層には「有料の価値がある」内容だとは思っていますので。

ということで、数少ない「授業の参考やネタにしたい」と思ってお読みいただいていた方には申し訳ありませんが、「有料コンテンツ」にしたようなものだとお考えください。いずれ電子書籍でも出してくれるそうなので、札幌以外の方はよろしければどうぞ。

で、おそらく多くの方は「自費出版」についてのアレコレ、金額とか手続きとかをお知りになりたいと思います。私も興味がありましたし、良いネタなんですが、その部分については公表を差し控えさせていただきますので、これまた悪しからずご了承ください。世の中に「自分の本を出したい」とお思いの方はかなりいらっしゃると思いますが、金額やらなんやら社外秘、のものもあると思いますのでご勘弁を。

この一冊でほぼネタ切れですので、これから先もまた授業で気づいたことなどがあればこちらのブログに書いていこうと思います。次回はぜひキャンプネタを載せたいところです。どっとはらい。