ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室時々アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

1年生「シンシュン」についての迷いと「世界に一つだけのホニャララ」

えっと、国語の教科書の話です。(またこのパターンかよ)

以前にも書きましたが、1年の最初の小説「シンシュン」、2年の表紙裏の詩「見えないだけ」、同じく2年の小説「星の花が降るころに」は、(おそらくですけど)いわゆる「1年生ギャップ」や、2年進級時の新しい環境に不安感や不適応感を抱く生徒向けの忖度教材「教育的配慮に基づいた道徳的配慮に満ちあふれる素晴らしい教材」なわけですが(おいおい)1年生の「シンシュン」については、どうも1点教える時に迷う表現があります。皆さんはどうお考えでしょうか?

まずざっくりとあらすじを紹介します。(ネタバレを含みますので、本文を読みたい方は今回のブログは飛ばしてください。)

<あらすじ>中学の入学式で初めて会った「シュンタ」と「シンタ」は、見た目も好きな物も嫌いな物もぴったり同じで、「まるで磁石が引き合うみたいに。」すぐに仲良くなった。あたかも双子のような二人はクラスメイトから「シンシュン」と呼ばれるようになり、いつもいっしょで話がとぎれずどんどんでてきた。笑うところも、怒るところも同じだった。ところがある日、ちょっとした話題で意見(好き嫌い)が食い違い、シュンタはショックを受ける。しかし違うところがあることを認めたら、いっしょにいられなくなると思ったシュンタはとっさに相手にあわせてしまう。それからシュンタは、シンタと話すときに迷うようになり、当たり前のことしか話せなくなり、しまいには黙ってしまい、だんだん離れていってしまう。あるときシュンタは思い立ち、けんかになることを覚悟してシンタに話しかけると、シンタもそのことを気にしていたことがわかり、互いに好きなことも嫌いなこともどんどん話すことにしようと意見が一致した。「そっくりだけど、全然違う人間なのだった。」ということがわかり、「僕たちはそれから、前にもましておしゃべりになった。」・・・どっとはらい。という内容です。(まあ「同じ事だけしゃべる」のに比べれば、「違うこともしゃべる」ようになれば、ざっと話題が倍になりますからね。)

で、今回迷っているのが太字の部分。「まるで磁石が引き合うみたいに。」の解釈です。この教材は「もし見かけがそっくりでも、人間同士だったら違うところがあるのが当たり前。お互いの違うところも認め合いながら一緒に生きてこう。」というようなテーマだと思います。で、太字の部分は文中で2つめの段落に出てくるくらい、早い段階で出てくる表記なのですが、これを単に「お互いに強く惹かれ合う」ことの比喩表現だととらえるのか?それとも裏の意味として、「実は磁石は違う極だからこそ引き合うのだ」という、テーマを引き出すための伏線ととらえるべきなのか?・・・そのあたりがどうも自信を持って教えきれないのです。一応指導書も見てみましたが、特にそのことについて触れてはいませんでした。これが太宰治だとか山川方夫だとかだったら、ドヤ顔で生徒に、最後の時間あたりで問題提起し、自信を持って伏線として教えると思います。しかしながら、私は寡聞にして、作者の「西加奈子」さんの他の作品を読んだことがなく、おそらくジュブナイルとか若い人向けの小説が多いのだろうとは思いますが、この部分以外には伏線らしき描写も見あたらず、失礼ながらどれくらい「信用して読んでいいのかわからない」のです。まぁ1年生の小説に、それほどかっちり伏線を引く必要も無いのかも知れませんが。(このあたりかなり上から目線になってしまい申し訳ないです。)生徒には基本「小説家はもの凄く細かく神経を使って書いているから、伏線っぽいものはたいがい意識して書いてあると思って読め」と言ってきたので、とりあえず伏線として教えていますが、皆さんいかがお考えですか?

ところで、関連しているような、全然お門違いのような話題です。「お互いの違うところを認めよう」も「みんな違ってみんないい」も、テーマとして大切だし尊重すべき内容だと思いますが、昔からどうもひっかかるのが例の「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」って歌詞です。私自身の基本的な考え方が、昭和の「星一徹」に近いからでしょうが、どうもオンリーワンで満足してしまい、さらに上を目指すことを冷笑しているように感じてしまうのです。(そういえば、「花屋の店先にならんだ色んな花を見ていた」段階で、実はすでに選び抜かれたエリートの花である、なんてツッコミもよくありますね。)違いを認めるのは大切かも知れませんが、何でもかんでも「個性」だとか言って良しとする風潮は、昭和の男というか還暦の男としては、なんかこう「しゃらくせぇ!」って感じがします。(こういう人を「老害」というんでしょうね。)時代錯誤かもしれませんが、結果そうなれなくても、ナンバーワンを目指して頑張ることを尊いと思ってしまう、年寄りの「引かれ者の小唄」でした。