ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

なるほどと思った話その2

中学校の行事の中で、非常に大切にされているのにもかかわらず、教師側も生徒側も極端に「感動的で物凄く好きだ。」という人と「できればやりたくない、嫌でイヤで仕方がない。」という人に別れる(ような気がする)のが、「合唱コンクール」です・・・はて?違いますかね?単なる「個人の感想です」ですかね?

合唱コンクールは、一度でもイイ思いが出来れば大好きになり、そのイイ思いができるまでは(つまり経験の浅いうちは)かなりの塗炭の苦しみを味わったりする。自分の経験上、そんな印象を受けます。また、学校全体の雰囲気とともに、申し訳ないけど音楽科の先生の意識や力量がモロに出てくる行事のようにも感じます。私自身も、最初の学校ではあまり合唱コンクールの意義や面白さを感じることができず、何となく「とりあえずこなす」行事になっていました。経験のない私は、いたいけ?な1年生に訳も分からず、「もっと声を出せぇ~!(#゚Д゚)ゴルァァァァァ!!などとと怒鳴ったりしていました。当然生徒だって面白くありません。でも、やっぱり経験豊かな先生の学級は、先生が腕組みして座ってみているだけで、楽しそうに練習が進んでいき、歌も素人目(耳)でも上手なんですよね。そうなるとますます(#゚Д゚)ゴルァァァァァ!!・・・まぁそれはそれは、悲惨なものでした。

ホントあのときの生徒には謝りたいくらいです。でもそれができないことが、教師の恐ろしさです。教師側は「歳々年々人同じからず」で、毎年まいとし違う生徒を教えるわけですが、生徒側から言えばその先生に出会うのは生涯1度きりなわけで・・・

さて、そんな私でも何年か経験を積んで、合唱「らしきもの」にさせるスキルは少しずつ身に付いてきました。ただ、やはり一番いい賞はとれない。生徒もあまり楽しそうでもない。学校全体でも、熱心な担任のクラスは毎回受賞、熱心でなかったり、経験の浅い担任のクラスは、合唱の練習をすることで逆に関係が悪化したり、ギスギスしたりする様子がうかがえました。(当時、正直音楽の授業が成り立っていないような状況だったので、担任がてこ入れして、何とか形にする、そんな行事でした。)

ところが、その後転勤した学校は、最初の学校よりかなり荒れの度合いが強い学校でしたが、合唱コンクールに対する意欲や盛り上がり方は、とても強かったのです。そして、当時の音楽科の先生が、口をすっぱくして担任の先生に言っていたのが、次のような言葉でした。

「歌う気持ちを持って授業に出してくれれば、音楽科の責任において絶対に良い歌を歌わせるから、担任は楽譜持ってうろうろするな!それより学級経営案を持って学級の雰囲気を作ってくれ!」

「音楽科の責任において絶対に良い歌を歌わせるから」は、並大抵の覚悟では言えない言葉だと思いました。もちろん、この言葉を聞いたからと言って、全く音楽科におんぶにだっこさせてもらうつもりはありませんでしたが、それ以前と違い、楽譜の記号をどうこうというより、生徒の歌っている時の表情、練習前後の雰囲気、そういったものに気を配るようになってきました。合唱の練習を始める前と終わった時で変化したか、コンクールが終わった時に、「楽しい行事が一つ終わってしまった」という気配が感じられたか、学級作りに役立ったか・・・結果の善し悪しではなく、それが大事なんだと教えられた一言でした。

私の長い教師生活でも、「これは改心の合唱コンクールの取り組みだった!」と言えるようなものは数えるほどしかありません。でも、一度でも生徒の、賞の善し悪しとは別に、「やりきった!楽しかった❤」という表情を見ることができれば、そこから後は「合唱コンクール絶対に楽しいものだから頑張ろうぜ!」ということを、絶対の自信を持って生徒に語ることができるようになります。ひょっとしてこのブログを読んでくれていて、若くて合唱コンクールに不安や疑問を抱く先生がいるならば、まずは一回、「黄金の一曲」を生徒とともに作ってみてください。(私はその一曲までにかなりの年月がかかりましたから、全くえらそうなことは言えないのですが。)

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