ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室時々アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

教科書の角をつつく その1

炎上覚悟で言わせてもらいますが・・・(といっても、この文章、それほど多くの人の目に触れてもいないので、炎上するはずもないのですが)どうもこの、昨今のジェンダーやら何やら、いろいろと目の付け所が面倒くさくてしかたないのです。そもそもいちゃもんクレームをつけようと思えば、何にだって付けられますよね。例えばこの教科書の題材を、「そういう目で見て」どう感じますか?

「(前略)一点一画もおろそかにしない大ぶりの筆で、「向田邦子殿」と書かれた表書きを初めて見たときは、ひどくびっくりした。父が娘宛ての手紙に「殿」を使うのは当然なのだが、つい四、五日前まで、「おい、邦子!」と呼び捨てにされ、「ばかやろう!」の罵声やげんこつは日常のことであったから、突然の変わりように、こそばゆいような晴れがましいような気分になったのであろう。 文面も、折り目正しい時候の挨拶に始まり、新しい東京の社宅の間取りから、庭の植木の種類まで書いてあった。文中、私を貴女とよび、「貴女の学力では難しい漢字もあるが、勉強になるからまめに字引を引くように。」という訓戒も添えられていた。
 ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる父の姿はどこにもなく、威厳と愛情にあふれた非の打ちどころのない父親がそこにあった。(後略)」(向田邦子「字のない葉書」)

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断っておきますが、私自身は三元号を生きている昭和生まれの男ですし、この文章を読んでも特に違和感も嫌悪感も感じません。「そんな感じだったよなぁ・・・。」ってなもんです。むしろ懐かしい感じすらします。(もちろん、罵声やげんこつや手を挙げることを肯定はしませんけどね。)でも、下線を引いた部分だけ、見る人が見たら「こんなパワハラやDVやセクハラや男女差別だらけの文章を教材として載せるなんて!教科書会社の見識を疑うざます!謝罪と賠償を要求するざます!qあwせdrftgyふじこlp;@:!」となる可能性はゼロではないですよね?(この「ざます」あたりが、そもそも突っ込まれたらジェンダー問題的にアブナイかもしれないんですけどね。叱られるスレスレを狙って書いてしまう悪い癖がありまして・・・)

この「字のない葉書」は、「戦争教材」でもあるのでしょうが、作者が自立した人間と認められていく前段、戦争中のあるエピソードの中で初めて厳格な父親の意外な一面を見たことについての驚きの後段に分けられる、中々良い随筆だと思います。その全体像の流れを無視して、一部だけを切り取って問題視するようなことが、昨今世間で多すぎやしませんか?某テレビとか某コメンテーターとか、某政治家とか某新聞とか・・・あー、「嫌な渡世だなあ。」(←座頭市より。勝新太郎懐かしいわ。)

かといって、3年生の教科書の詩「わたしを束ねないで」(新川和江)の、この一節なんかはもろに・・・うーーーーん。

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

この詩自体は、かなり以前の教科書から載っているので、昨今の情勢を教科書会社が忖度したものではないはずですが、しかしなんだかあらぬ陰謀論を考えてしまう今日このごろでした。あ、そこのあなた!「いくら何でも考えすぎだ。」と思いましたね?いや、そうだと思うんですよ。でもこんなのよりももっとひどい、重箱の隅をつついた上でつついた棒の先をさらに針で探るような、そんなことを結構毎日まいにち目にしているような気がするんですよ・・・嫌な渡世だなぁ・・・しみじみ。