ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

「盆土産」についての小ネタあれこれ

前回までの「走れメロス」についてのアレコレは、こちらとしても意外なほどの長編になってしまいました。今回は「盆土産」についての小ネタを紹介していきます。これは多分1回で終わると思います。(ディスっているわけではありません。)

小ネタその① この教材を扱うにあたって、いつ頃の、どの地域での話か?という、場面設定の話は外せないと思います。まずいつ頃か。これはおそらく「高度経済成長期」の、東京に盛んに出稼ぎが来ていた時期であろう。(ひょっとしたら1回目の東京オリンピックのあたり?と考えることができ、今年度はちょうどタイムリーな話題になりました。)そして場所のヒントは「夜行で8時間+バスで1時間以上]、となると東京から相当離れている地域となります。まぁ我々大人なら、大体訛りで東北方面だな、と想像がつきますが、生徒は北の方なのか南の方なのか見当がつきません。クラスに鉄ちゃん(鉄道マニア)がいれば聞いてみると面白いのですが、これは東北方面ですね。なぜかというと、夜行列車が「東京駅」ではなく「上野駅」に着いているから。東北本線の終着駅は東京ではなく、上野だそうです。(注 私は鉄ちゃんではありません。)これは3年生の教科書の教材である「握手」の中で、主人公とルロイ先生が上野で落ち合ったこととも関連してきますね。(ルロイ先生は仙台の修道院にいましたし。)まぁそんなマニアックな知識を出さなくても、作者三浦哲郎が「青森県出身」ということを確認すれば済む話ですが。私らの年代だと「ああ上野駅」なんて歌を思いだし・・・(さすがにそこまで年寄りではありませんが。)

小ネタその2 この「盆土産」の重要アイテムはもちろんえびフライですが、もうひとつ挙げるとしたら何だろうか?そんなことを投げかけてみると、大抵の生徒は「ドライアイス」と答えます。まぁそれも有りっちゃあ有りですが、自己満へそ曲がり流としてはここは「ハンチング」を挙げるべきだと思います。以前書きましたが、「一見無駄に見える表記には必ず裏の意味がある」理論でいくと、この盆土産の中での「父親は、村にいる頃から、うさぎの毛皮の防寒帽でも麦わら帽でも、あみだかぶりにする癖があったが、・・・」のくだりが、どうも違和感がある。ということは、作者はここに何らかの意味合いを持たせたはず。さてその意味合いは?・・・の前に、「あみだかぶり」についてです。教科書では」帽子などを、前を上げ、後ろを下げてかぶること。」とありますが、なぜそれを「あみだかぶり」というかと言うと、「阿弥陀如来の仏像の光背のように見えるから」ということらしいです。で、生徒に「あみだと言えば?」と聞くとまぁほとんど「あみだくじ」と答えますね。これもちょっと調べると、昔のあみだくじは、今のように平行線で書くのではなく、放射状に拡げて書いていたそうです。それならば確かに、「阿弥陀如来の光背」のイメージにもつながりますね。さて、そのハンチングがどう後につながるかというと、一番最後に、主人公と別れるシーンで「父親は、何も言わずに、片手でハンチングを上から押さえてバスの中へ駆け込んでいった。」というところで出てきます。ここで「なぜ父親はハンチングを押さえたのか。」という発問を出しますと、二種類の答えが返ってきます。多いのは「まだ頭になじんでいなくて、谷風にちょっとひさしをあおられただけで慌てて上から押さえつけなければならなかった。」という表現からの読み取りで、「急いで駆け込んだから風で飛びそうになった。」という答えです。これはこれで立派な読み取りです。ただ、ちょっと読める生徒ならば、「別れが辛くて泣きそうになった父親が、泣き顔を見せると子供が辛くなるので、顔を隠すために上から押さえて隠した。」という答えを出してきます。自己満へそ曲がり流としては、わざわざ「あみだかぶり」の記述を入れた作者の思惑としては、やはりここは後者の「泣きそうな顔を見せたくなくてひさしを下げた。」と読み取っていく方が、作者の読み取って欲しい方向性に合っていると思います。つまりこの「盆土産」は、「ニコニコ顔でひさしを上げて帰ってきた父親が、別れの辛さにひさしを下げて東京へ戻っていく話」とまとめることができると思います。(私自身が父親なので、どちらかというと父親目線でこの話を読んでしまうから、ということもありますが。)

f:id:ponkotsu1000sei:20220216131627j:plain 「あみだかぶり」で思い出すのはこの人(チープトリック)

小ネタその3  私は授業の中で、最後の別れのシーンについて、セリフや動作の裏で登場人物が心の中でつぶやいているであろう言葉を考えさせますが、その時に男車掌の心理も考えさせます。その時に、道端に痰をはいてから「はい、お早くう。」というシーンの読み取りで、生徒が二分されます。一方は「親子の別れは辛いだろうけど、こっちも時間通りに出発しなきゃならないんだ。」という優しい車掌として読み取るひと、もう一方は「何だか知らないけrどこっちも急いでるんだ。早く乗ってくれや。」というあまり優しくない車掌とする人。これもどちらでも良さそうですが、自己満へそ曲がり流としては後者を善しとします。なぜかというと、まず痰を吐いていること。あまり思いやりのあるイメージにはなりませんよね。そしてもうひとつのポイントとして、これが「夕方の終バス」であること。つまり、このバスが終点に着くと、車掌も仕事が終わり家に帰れるわけですから、「さっさと戻って一杯引っ掛けてラジオでも(多分まだテレビはそれほど普及していない)聴きたいもんだ。」というのが、この時の男車掌の心中だと思うのですが、皆様いかがでしょうか?この盆土産は、姉弟がえびフライを、お互いの様子や心中をうかがいながら食べるシーンの読み取りなんかも、なかなか面白いと思います。ではまた次回、何かの教材に茶々を入れてを取り上げていこうと思います。よろしければまたお読みください。