ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室(と年寄の冷や水)

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

太宰治「走れメロス」についてのあれこれその④

原典「人質」と「走れメロス」の変更点について、これまでに

変更点01 原典では書かれていない、ディオニスの人格変化が書かれていること。

変更点02 原典では話を聞いて感動しているが、太宰は実際にその場で目撃させている。

・・・の2点について考察してきました。今回は変更点03 原典ではメロスは元々シラクスの町の住人であり、フィロストラトスはメロス自身の弟子であったが、「走れメロス」では十里(約40キロ)離れた村の羊飼いにされていて、フィロストラトスシラクスの町に住むセリヌンティウスの弟子にされている。という点について考えてみようと思います。

走れメロス」では、セリヌンティウスとメロスは「竹馬の友」であり、「今はこのシラクスの町で石工をしている」ということは、セリヌンティウスはメロスと同じ村出身で、途中からシラクスの町に行き、石工の修行をして親方になり、弟子としてフィロストラトスを雇っている、という設定になります。(因みに生徒はほぼ例外なく「竹馬の友」の「ちくば」を「たけうま」だと思っていますが・・・

f:id:ponkotsu1000sei:20211231092012p:plain←「ちくば」はこういうヤツです。高齢者ならば「ロンパールーム」で似たような遊びをしていたのを覚えてませんかね?ギャロップとか言っていた気がします。ケロンパってもうお亡くなりでしたっけ。話戻って)

原典のイメージだと、メロス自身が弟子を持つ何らかの職人の親方で、おそらく年齢としては20代後半から30代前半、あるいはもっと上?くらいの印象を受けますが、「走れメロス」の授業で生徒にメロスのイメージを聞くと、(妹が16歳という設定もあり)20~20代前半、くらいの若いイメージを持つようです。では仮に、ここで25歳と仮定してみましょう。そうすると色々妙な点が出てきますね。まず妹とかなり年が離れていることになる。両親も居ない設定なので、若くして妹の面倒を見てたので老成した、とは考えられますが、ということは竹馬の友であるセリヌンティウスも25歳くらいですよね。となると弟子であるフィロストラトスはいったい幾つなのか?徒弟制度のイメージだと10代後半くらいでしょうか?それにしてはずいぶんと言葉遣いなどがじじむさい落ち着きすぎてませんかね?(ネット上で見た別の方の和訳では、フィロストラトスが弟子ではなく、メロスの家の使用人になっています。曰く、「メロスに、家の実直な守り手、ピロストラートスが向って来て、主人を驚いて認める。」これだったとしたらこの言葉遣いや、主人を心配する気持ちもすごく納得がいきます。)

太宰がメロスを、シラクスの町の住人ではなく、十里離れた牧歌的な村の呑気な青年に設定した理由を考えてみます。

推論その1 原典通りメロスが元々シラクスの町の住人だったとしたら、「こんなにたくさんの人が殺されるまで黙っていたのに、何故かいきなり暗殺を思いついた?」」ということになってしまう。

推論その2 そもそも「結婚もしていないのになぜ妹だけ別の町にいるのか?」という原典の意味不明な状況を、より自然な設定に出来る。

推論その3 このブログの、その②に書いたように、ディオニスの心境変化のシーンを入れるために、「2年ぶりに」この町に来た設定にするため、十里離れた村の住人に設定した。その結果、原典通りフィロストラトスがメロスの弟子だったら、村に残っていることになってしまい、刑場の手前で会うことが出来なくなるので、フィロストラトスセリヌンティウスの弟子に変更した。

・・・というところでしょうか。推論があっているならば、多分その3が一番大きな理由ではないかと思いますが、いかがでしょう?

それにしても、セリヌンティウスの唐突な登場については、やはり生徒の中にも違和感を感じる生徒がいるようで、中にはセリヌンティウスもディオニスに命じられて(買収されて?)メロスの邪魔をしにきたのではないか?」と考える生徒もたまにいます。それは違うと思いますが、こういう発想は大事にしたいと思いますね。実に面白い。ところが大人でも似たようなことを考える人がいるようでして。最近知ったのですが、昔のパチスロに「走れメロス」というレア台があったらしいんですよ。

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もう見るからにツッコミどころ満載で、(キャラクターがモロに巨〇の星)フィロストラトス(モロに花〇満)の説明に「メロスに諦めるようにそそのかす」とあるように、液晶画面で「諦めずに走ればボーナス継続」「諦めたらボーナス終了」という、何だかよくわからないけどちょっとオモシロそうな台です。やっぱりセリヌンティウスについては違和感を感じる人があちこちにいたということでしょう。その、セリヌンティウスの言動に対する違和感については、次回考えてみたいと思います。併せましてご覧くただいている皆様、新年あけましておめでとうございます。よろしければまた読んでやってください。