ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室(と年寄の冷や水)

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

太宰治「走れメロス」についてのあれこれその②

前回ご覧いただいたように、「走れメロス」と、その原典?であるシラーの「人質」を見比べるとさまざまな変更点があります。当然太宰治が、何らかの意図を持って変えたのだ、と考えるのが普通だと思います。まずはその相違点のうち、主だったところをピックアップしながら、意図を考察していこうと思います。あくまでも文面の表現から読み取れることに絞っていきます。

まずは変更点01 そもそもメロスは激怒していない、というか、原典ではいきなりメロスが捕まった所から始まっている。

さて、この変更点について考えます。

まず冒頭の一文、「メロスは激怒した。」は、ご存知の通り最後の一文、「勇者(=メロス)はひどく(=激)赤面(=怒)した。」というオチ?につなげるための、果てしなく遠い伏線として書いてあるのは間違いありませんね。このオチについてもまた別の折に触れようと思います。

では次に、なぜ太宰は、メロスが捕まる前に街の様子や若い衆、老爺を登場させ、暴君ディオニス(別の原典ではディオニュソス)に関する描写を入れたのか?・・・について触れる前に、私の「走れメロス」での、一番の「自己満へそ曲がり流授業」の内容をお伝えします。それは

「最後にディオニスが改心したのは、メロスとセリヌンティウスの二人の信頼や友情に感動したから、ではないぞ!」

ということです。実際、生徒にこの「なぜ暴君は改心したか?」という発問は定番、というか100%の国語教師がするでしょうし、ほとんどの生徒が「友情に感激したから」と答えるでしょう。そして、日本広しと言えども、「それは違う!」と授業をしているへそ曲がりは、そうそういない(・・・と思いますが、「いや、それも私の、独りよがりか?ああ、もういっそ、悪徳者として以下略。」)

では私はなんと教えているか。チコちゃん風に言いますと

「ディオニスが改心したのは、メロスが裸だったから〜。」

・・・物を投げないでください!物を投げないでください!・・・

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はい、なんだそりゃ!ふざけてんのか!とお思いでしょうね。生徒もこれを言うと「はぁああ?」って顔をします。でも大真面目です。不審に思われる方も、これから先、走れメロスについてのあれこれをアップしていくなかで、「なるほどそんな考え方があるのか。」と思ってくれれば幸いです。情報はちょぼちょぼ小出しにしていきますので、続けて読んでいただれるとありがたいです。

話戻りまして、なぜ太宰はディオニスについての情報を入れたのか。それは「走れメロス」において、ディオニスと原典のディオニュソス王とでは、違う人格に設定したかったからだと思います。

ちょいとウィキを引けば出てきますが、史実のディオニュソス王は(ウィキではまた表記が違っていて)

ディオニュシオス1世あるいはディオニュシオス古希Διονύσιος ο Πρεσβύτερος紀元前432年ころ - 紀元前367年)は、現在のイタリア南部シチリア島にあった都市シュラクサイ(現在のシラクサ)を支配した、ギリシア人の僭主ディオニュシオス1世はシチリア島内やイタリア半島南部の数都市を征服し、カルタゴの勢力がシチリア島へ及ぶことに抵抗して、シュラクサイを古代ギリシアの西方植民都市の中でも最も有力なものに成長させた。古代の人々の間で、ディオニュシオス1世は、残虐で猜疑心が強く、執念深い、最悪の暴君のひとりと見なされていた。

とあります。つまり「リアル暴君」だったわけで、「もともと」猜疑心の強い暴君が、人を信じてみようと思うようになるのと、「もともと」は「皆が歌を歌って、町は賑やか」であることを許す「良い王様」だったディオニスが、元通りになるのでは全く設定が違います。原典では「悪」→「善」ですが、「走れメロス」では「善」→「悪」→「善」という「改心」です。数多くの人を殺したにもかかわらず、ディオニスが改心したのを聞いた群衆に「万歳、王様万歳。」と言われるということは、「あのとても寛大だったディオニス王が戻ってきた!」という喜びの表れでないと、つじつまが合いません。(逆に、「人質」の「最悪の暴君」が、「話を聞いただけで素直に感動し改心する」というのは、どうも嘘くさい感じがしませんか?)太宰は単純に「悪人に良心が芽生える」話ではなく、「もともと善良だった人間が闇堕ちして、そこから立ち直る。」という設定にしたかったのではないか?そう考えた時に・・・あれ?これってメロスの一連の心の変わりようと全く同じではないですか?

このことだけに限らず、第二の「自己満へそ曲がり流授業」として教えているのが、

「メロスとディオニスは実は性格がそっくりだ。」

ということです。(これもあちこちからクレームが来そうですね。)オーソドックスな授業では、メロスとディオニスを「複雑で人を信じられない邪悪な心のディオニス」と、「単純だが人を疑う気持ちを憎む正義の人メロス」という、正反対な性格の二人としてとりあげるでしょうし、生徒も疑いなくそう読み取るのではないでしょうか?

しかしながら明らかに太宰は、メロスとディオニスをある性格の一点において、非常によく似た特性を持たせて書いています。いずれその「メロスとディオニスの類似点」についても書いていく予定です。

(あ、そういえば変更点その2 原典ではディオニスは刑場には居なくて、話を聞いて感動したことになっているが、「走れメロス」では刑場で実際に現場を見ている。この「刑場で実際に現場を見ている」ということについては、上で書いた「裸だったから」と密接に関係があるので、そのときに併せて考察したいと思います。)

長くなりましたが、次回は「ディオニスが暗黒面に墜ちた理由」について考察してみようと思います。これも原典には全く無かった描写ですので、当然太宰の思惑が入っていますよね。さてそれは何なのか?次回もお時間があれば読んでやってください。