ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室(と年寄の冷や水)

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

「少年の日の思い出」の思い出その⑦

今さらですが、もう一度主人公が来た時の、一連の表記を振り返ります。

「壊れた羽は丹念に広げられ、ぬれた吸い取り紙の上に置かれてあった。しかし、それは直すよしもなかった。触覚もやはりなくなっていた。そこで、それは僕がやったのだ、と言い、詳しく話し、説明しようと試みた。すると、エーミールは、激したり、僕をどなりつけたりなどはしないで、低く「ちぇっ。」と舌を鳴らし、しばらくじっと僕を見つめていたが、それから、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と言った。僕は、彼に、僕のおもちゃをみんなやる、と言った。それでも、彼は冷淡に構え、依然として僕をただ軽蔑的に見つめていたので、僕は、自分のちょうの収集を全部やる、と言った。しかし、彼は、「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知っている。そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取り扱っている、ということをみることができたさ。」と言った。その瞬間、僕は、すんでのところであいつの喉笛に飛びかかるところだった。」

どうですか?主人公が言って然るべきなのに言っていない一言がお分かりでしょうか?お分かりでない方には、エーミールのところに来る前に、主人公に母親が言ったセリフを並べてみましょう。

「おまえは、エーミールのところに行かなくてはなりません。」と、母はきっぱりと言った。「そして、自分でそう言わなくてはなりません。それより他に、どうしようもありません。お前の持っているもののうちから、どれかを埋め合わせにより抜いてもらうように、申し出るのです。そして、許してもらうように頼まなければなりません。」

もうお分かりですね。そうです。主人公がエーミールに、絶対に言うべきなのに言ってない一言とは、「許してもらうように頼む」ことです。

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そもそも、よく見ると主人公の動きには結構打算的なところがあります。まず会ったときにすぐ「それは僕がやったのだ、すまなかった許してくれ。」と入っていればまた展開も違ったでしょうが、すぐには言わず、そのちょうを見せてくれ、とだけ言ってます。許しを乞う言葉はありません。(もちろん、いきなりそれを言うのは勇気がいるし、その段階ではまだエーミールの部屋ではなく、エーミール家の玄関先?でしたから、エーミールの家の人に聞かれる可能性があり、ここでは言えなかったのは理解できます。)そして、見せてもらった時も、「しかしそれは直すよしもなかった。触覚もやはりなくなっていた。そこで、それは僕がやったのだと言い・・・」とあります。ここでの「そこで」は、明らかに「元通りになっていないことを確認した」にかかる言葉になるわけで、もし元通りになっていたら「ひょっとしたらすぐに許してくれるかも知れない」し、最低でも「少しは自責の念が軽くなった状態で話すことができる」ということになります。ところが、その最後の心の拠り所も無くなったのを見ての「そこで」は、(12歳の少年の心情として理解はできますが)いまひとつ潔さを感じられません。

確かに、母親は「持っているものからえり抜いてもらう」そして「許してもらうよう頼む」という順で主人公に諭しました。だからひょっとして主人公は実直に、その順序通りに進めようとした、つまり「より抜いてもらった後で許しを乞おうとした」可能性はあります。ありますが、それはあまり現実的とは思えません。ただ、結果としてどこを見ても「謝罪した」ことを示す表現はありませんよね。だとしたら主人公の評判はさらに失墜します。「あいつ、人の大切なものをワザと壊しておいて、わざわざ家まで来ておいて、謝りもしないんだぜ!」ということになってしまうからです。

生徒は意外とこの「主人公は結局謝っていない」ということに気づきません。とはいえ、いくら「へそ曲がり自己満読解」でも、わざと謝らなかったわけではないと思います。となると、やはり「詳しく話し、説明し」た後で、許してくれるよう頼もうとしていたが、エーミールの舌打ちで何も言えなくなり、まずはなにか償いをしようとしたがしくじってしまい、たった一つのプライドまで傷つけられ、逆ギレして謝るどころではなくなった、と考えるのが自然な流れかと考えるのですが、いかがでしょうか?こう考えると、結局謝罪も償いもできないまま帰ってきた彼は、自分なりの謝罪と償いの意味をこめて、自分の大切なちょうを粉々にしてしまった、という読み取り方も、あながち悪くないと思うのですが。(やっとここで、以前のブログその④で述べた内容に戻ってこれました。話があっちゃこっちゃいってしまって申し訳ありませんでした。)

身も蓋もないことをいうと、このブログ全体は(そんなもの好きはそうそういないと思いますが)現役中学生(と、中学時代国語が好きだった大きなお友達)に読んでもらえたら、きっと教科書や授業の読み方が変わってくるんじゃないかと、そんな淡い願いを持って書いています。多分ですが、現役の「オーソドックス」な国語の先生は、こんなところまで突っ込んでの読解はしていないと思います。でも「九マイルは遠すぎる」のように、単語の一つ一つにツッコミを入れて、裏読みができるようになったら、日本語の持つ情報量の濃さに気づき、もっと読書や国語が面白くなるんじゃないかなと、そんなことのヒントになればと、そんな想いが、いつか誰かに通じてくれれば、書いてきた甲斐もあるというものです。

とりあえず今回で、「少年の日の思い出」という教材についての話題は一旦終了します。次回はちょっと趣向を変えて、還暦近い私の、来年以降新たに(というか復活させたい)超個人的な趣味なんかについて書いていこうと思います。本の話とは違いますが、よろしければまたお目通しください。どっとはらい