ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室

(高校受験には全く役に立たない)中学校の国語に関する話題を中心に書いてます。

「少年の日の思い出」の思い出その②とお詫び

えー、まことに申し訳ありませんが、前回アップした「少年の日の思い出」の思い出①の中に、改めて読み直すと重大な誤りがあったことがわかりまして、ここに訂正させていただきたいと思います。(汗)

何のことかというと、昔の思い出に、実にもっともらしいうそをついた生徒のことを取り上げ、「鋭い読み込みだ」と賞賛した、と書きましたが、今回ふと気になってもう一度読んでみましたら、生徒も、そして何より私の方でも大いなる勘違いしていたことが判明しました。「前羽」の一件についての記述の、前段と後段を列挙してみます。

【前段(盗んだチョウをポケットから出す場面)】クジャクヤママユはつぶれてしまったのだ。前羽が一つと触角が一本、なくなっていた。ちぎれた羽を用心深くポケットから引き出そうとすると、羽はばらばらになっていて、繕うことなんかもう思いも寄らなかった。盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった、美しい、珍しいちょうを見ているほうが、僕の心を苦しめた。微妙なとび色がかった羽の粉が、自分の指にくっついているのを見た。また、ばらばらになった羽がそこに転がっているのを見た。

【後段(エーミールが修繕したチョウを見る場面】壊れた羽は丹念に広げられ、ぬれた吸い取り紙の上に置かれてあった。しかし、それは直すよしもなかった。触角もやはりなくなっていた。そこで、それは僕がやったのだ、と言い、詳しく話し、説明しようと試みた。

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はい、お恥ずかしい話ですが、前段を読んだ時に、私もその生徒も「前羽が一つなくなっていた」というのを、文字通り「無くなっていた」と思ってしまっていたんですね。改めてちゃんと読むと、なくなった前羽=ちぎれた羽=壊れた羽、であり、どこかに行ってしまったわけではない。だから「猫がくわえていた」という嘘は、逆に矛盾していて命取りになる嘘だったわけです。後段の、触角も「やはり」なくなっていた、の「やはり」を、「案の定」の意味ではなく「〇〇もまた同様に」の意味だと思っていたのも、二重の勘違いでした。ざっと今から二十年くらい昔の生徒の話なので、今更訂正もできませんが、あと何回教えるかわからないけど、次回は変な教え方をせずにすみそうです。数少ない読者の皆様には改めて勘違いとお詫び申し上げます。

負け犬の遠吠えで言わせてもらえば、「なくなっていた」ではなく「もげていた」くらいに書いてくれていれば、こんな勘違いをせずにすんだのに!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!・・・(人呼んで逆ギレ)しかし、考えてみれば原文のドイツ語を訳するにあたって、訳者の高橋健二氏も、「壊れた」「ちぎれた」「取れた」「なくなった」「消えた」・・・その他諸々の似たような日本語から、何を使うのがいいのか相当悩まれたんじゃないのかな、と改めて思います。そもそも一人称の「ich」を何にするか。私?僕?俺?おいら?同じ少年でもずいぶんイメージが変わりますね。ましてやこの「少年の日の思い出」は、同じ人物のビフォーアフターだからちょいとややこしい。改めて、外国文学の日本語訳を、どこまで突っ込んで読解するかの難しさを感じました。じつは以前から一カ所、ここの日本語訳をどう解釈したらいいか迷っているところがありまして、そのあたりの葛藤もいずれ書かせてもらおうと思います。次回は「少年の日の思い出」の、カオナシの話など。(これでピンと来る方、いらっしゃいますかね?)それではまた、お暇でしたらご覧ください。