ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室

(高校受験には全く役に立たない)中学校の国語に関する話題を中心に書いてます。

「夏の葬列」(山川方夫)で感じた違和感③

葬式まんじゅうほしさに、おだって(この方言わかりますかね?「調子こいて」くらいの意味かな?)芋畑の中を突っ切っていった主人公を助けにきて、銃撃を受けてしまったヒロ子さんは、実はいち早く「道の」防空壕に避難していた。その安全な防空壕からわざわざ助けるために飛び出していったことがわかる表現とは?・・・もうおわかりですね。最初の男性のこのセリフです。

「おーい、ひっこんでいろその女の子」

「隠れろ!」でも「ひっこめ!」でもなく「ひっこんでいろ」です。ということは、その直前の時点では「ひっこんでいた」ということになります。「道の防空壕に」でヒロ子さんが逃げおおせた可能性を示すだけではなく、さりげなく見逃しそうな「ひっこんでいろ」という表現で、実は一度安全地帯に逃げ込んでいたことも、きちんと暗示しているんです。そしてそれに気づくと、より一層調子こきのクソガキ主人公のした行動の酷さが明確になってくるわけで、事実気づいた生徒はかなり「ドン引き」していたのを覚えています。この話を最後に教えてから、もうかなりの年月が経ちました。(調べてみるとどうやら平成24年度版からのようです。10年以上は経っているんですね。)それでも、最初にこの言葉の裏の意味に気づいたときの、「うーむ、山川方夫・・・あなどれん!」という感覚は今でも新鮮に残っています。(主人公の行為が「カルネアデスの板」(=緊急避難)にあたるかどうか、なんてことも投げかけたことがありますが、まぁあまりうまくはいきませんでした。)

もう一か所、100%の先生がふれる、「ううん。悪くなかったよ。体は全然じょうぶだったよ。」の、限定の副助詞「は」の使い方は、かなりわかりやすい「伏線」なので、多くの生徒が気づきますが、①で引用したシーンの「ああ、ぼくヒロ子さんと一緒に殺されちゃう。ぼく死んじゃうんだ、と彼は思った。」の「は」の使い方の巧みさも見逃せません。つまり、「ヒロ子さんよりぼく」→「ぼくだけ」のことを考えるようになる瞬間の、心の揺らぎというか、ダークサイドに陥る変化が、非常にうまく表現されていると思います。

①で、「あらすじの紹介」と書いたのに、前半までしか紹介していませんでしたが、ショートショートなので後半部分はあえて書かないこととします。ざっくり言えばこの話は、「心のわだかまりを軽減しようと思ったらむしろ倍になってしまった」という内容です。(教材研究をしてないので、確証はないのですが、「芋の葉を、白く裏返して風が渡っていく。」という表現が、その「どんでん返し」を象徴している、と私は読みます。)ほかにも細々こだわって教えた気がしますが、もしこの駄文をお読みの中学校国語科の先生がいらしたら、「この箇所の読解も面白いよ」と、ご教授を賜れば幸いです。(といっても、もう二度と「夏の葬列」を教える機会はないと思いますが。)

次回はちょっと趣向を変えて、「こだわりの文具」をご紹介します。(といっても、安物の「丸付けグッズ」とかですが。

そういえば子供の頃、「ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ葬式まんじゅうでっかいそうだ」という言葉遊びがありましたが・・・え、知らない?・・・およびでない?こりゃまた失礼いたしましたっと。(←誰も突っ込みようのない昭和中期のギャグ)

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