ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

1年生「シンシュン」についての迷いと「世界に一つだけのホニャララ」

えっと、国語の教科書の話です。(またこのパターンかよ)

以前にも書きましたが、1年の最初の小説「シンシュン」、2年の表紙裏の詩「見えないだけ」、同じく2年の小説「星の花が降るころに」は、(おそらくですけど)いわゆる「1年生ギャップ」や、2年進級時の新しい環境に不安感や不適応感を抱く生徒向けの忖度教材「教育的配慮に基づいた道徳的配慮に満ちあふれる素晴らしい教材」なわけですが(おいおい)1年生の「シンシュン」については、どうも1点教える時に迷う表現があります。皆さんはどうお考えでしょうか?

まずざっくりとあらすじを紹介します。(ネタバレを含みますので、本文を読みたい方は今回のブログは飛ばしてください。)

<あらすじ>中学の入学式で初めて会った「シュンタ」と「シンタ」は、見た目も好きな物も嫌いな物もぴったり同じで、「まるで磁石が引き合うみたいに。」すぐに仲良くなった。あたかも双子のような二人はクラスメイトから「シンシュン」と呼ばれるようになり、いつもいっしょで話がとぎれずどんどんでてきた。笑うところも、怒るところも同じだった。ところがある日、ちょっとした話題で意見(好き嫌い)が食い違い、シュンタはショックを受ける。しかし違うところがあることを認めたら、いっしょにいられなくなると思ったシュンタはとっさに相手にあわせてしまう。それからシュンタは、シンタと話すときに迷うようになり、当たり前のことしか話せなくなり、しまいには黙ってしまい、だんだん離れていってしまう。あるときシュンタは思い立ち、けんかになることを覚悟してシンタに話しかけると、シンタもそのことを気にしていたことがわかり、互いに好きなことも嫌いなこともどんどん話すことにしようと意見が一致した。「そっくりだけど、全然違う人間なのだった。」ということがわかり、「僕たちはそれから、前にもましておしゃべりになった。」・・・どっとはらい。という内容です。(まあ「同じ事だけしゃべる」のに比べれば、「違うこともしゃべる」ようになれば、ざっと話題が倍になりますからね。)

で、今回迷っているのが太字の部分。「まるで磁石が引き合うみたいに。」の解釈です。この教材は「もし見かけがそっくりでも、人間同士だったら違うところがあるのが当たり前。お互いの違うところも認め合いながら一緒に生きてこう。」というようなテーマだと思います。で、太字の部分は文中で2つめの段落に出てくるくらい、早い段階で出てくる表記なのですが、これを単に「お互いに強く惹かれ合う」ことの比喩表現だととらえるのか?それとも裏の意味として、「実は磁石は違う極だからこそ引き合うのだ」という、テーマを引き出すための伏線ととらえるべきなのか?・・・そのあたりがどうも自信を持って教えきれないのです。一応指導書も見てみましたが、特にそのことについて触れてはいませんでした。これが太宰治だとか山川方夫だとかだったら、ドヤ顔で生徒に、最後の時間あたりで問題提起し、自信を持って伏線として教えると思います。しかしながら、私は寡聞にして、作者の「西加奈子」さんの他の作品を読んだことがなく、おそらくジュブナイルとか若い人向けの小説が多いのだろうとは思いますが、この部分以外には伏線らしき描写も見あたらず、失礼ながらどれくらい「信用して読んでいいのかわからない」のです。まぁ1年生の小説に、それほどかっちり伏線を引く必要も無いのかも知れませんが。(このあたりかなり上から目線になってしまい申し訳ないです。)生徒には基本「小説家はもの凄く細かく神経を使って書いているから、伏線っぽいものはたいがい意識して書いてあると思って読め」と言ってきたので、とりあえず伏線として教えていますが、皆さんいかがお考えですか?

ところで、関連しているような、全然お門違いのような話題です。「お互いの違うところを認めよう」も「みんな違ってみんないい」も、テーマとして大切だし尊重すべき内容だと思いますが、昔からどうもひっかかるのが例の「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」って歌詞です。私自身の基本的な考え方が、昭和の「星一徹」に近いからでしょうが、どうもオンリーワンで満足してしまい、さらに上を目指すことを冷笑しているように感じてしまうのです。(そういえば、「花屋の店先にならんだ色んな花を見ていた」段階で、実はすでに選び抜かれたエリートの花である、なんてツッコミもよくありますね。)違いを認めるのは大切かも知れませんが、何でもかんでも「個性」だとか言って良しとする風潮は、昭和の男というか還暦の男としては、なんかこう「しゃらくせぇ!」って感じがします。(こういう人を「老害」というんでしょうね。)時代錯誤かもしれませんが、結果そうなれなくても、ナンバーワンを目指して頑張ることを尊いと思ってしまう、年寄りの「引かれ者の小唄」でした。

 

 

ポンコツタト食反と孤独のホニャララ(後編)

(しかし2ちゃんとかで使われてたこのタト食反とかタヒねとか、漢字を合わせて大文字にするという、「むべ山風を嵐といふらむ」式の言葉遊びって、いざ考えようとすると意外と見つかりませんね。「吾輩は猫である」の中の甘木先生って「某」の分解だと、何かで読んだ気がする。)

さて、それはそれとして、周りが家族連れやら学生サークルやら輩?やらがキャッキャウフフしている中で、場違い感疎外感をひしひしと感じながら、バックパックから色々と道具を引っ張り出して並べてみます。

 

(メスティンがトトロみたいに大中小あるのはご愛敬。全て100均)まずはコーヒーを一杯、ということでダイソーの1100円のミル&カップのセットに、途中で買った豆(マンデリン)を入れ、ガリガリ碾いて(※こんな字があるの知りませんでした。てっきり「挽く」だと思ってましたわ。)小メスティンで湯を沸かし、慎重にそそいでほっと一息。

 

スーパーの豆だからそれほどいいものではないと思うし(失礼)多分に雰囲気補正がかかってるのでしょうが、(妙に、うまい)のである。これはくせになるなぁ。

 

中メスティンで米を浸水させつつ、野菜炒めの野菜を切ろうと思ったら、カッティングボードがない!そして炒めるための鉄板やフライパン的なものも忘れてきた!・・・仕方ない。大メスティンの蓋をまな板にして、本体をフライパン代わりにして、ハム野菜炒めを作ることに。えらく久しぶりに引っ張り出した、30年物の「バックフォールディングハンター110」(釘が削れるとの触れ込みの)でハムや野菜を切ってみたところ・・・まぁロートルの割に切れることきれること。触れ込み通りに、「蓋ががっつり傷つきました」(泣)で、切れるのはいいんですが、やっぱり圧倒的に「重い」んですよね。有名なナイフの割には、あまり使っている人の動画や画像を見ないのも納得です。たしかにオピネルとか軽そうだもの。(でもここで「軽いナイフが欲しい」と思ってしまうのが、「沼への入り口」とわかっているのですよ。我慢我慢自重自重・・・)

  

計画では、アルスト一個だけ持ってきて、「米を浸水させておく」→「野菜切りと併行して米炊き」→「米蒸らしと併行して野菜炒め」→「炒め終わったころ蒸らし終わり」→(゚д゚)ウマー・・・という完璧な流れだったのですが、風が強くて意外と米が炊かさる(この○○さる、という北海道方言も、「いずい」と並んで説明しづらい言葉ですね。)のに時間がかかり、さらに炊きあがったらアルコールがなくなっていて、野菜炒めに移行するもなかなかジュージュー言わず、あっという間に継ぎ足したアルコールもなくなり、なんやかやですっかり炊いた米が冷めてしまう、という悲惨な状況に。(米を蒸らすためのタオルとかバッグとかも持ってきていなかったのも大失敗。)そこはダイソーの調味料入れをフルに活用し、(左からごま油、サラダオイル、醤油、乾燥ニンニク、塩こしょう、ほりにし、というラインナップ)かなり濃い味の野菜炒めに仕上げ、冷えた米にぶっかけて「ワシワシといただくのは人生の楽しみである(てなことを椎名誠が書いていたような)」ということで、何とか空腹は満たされました。しかしながら、食べてて感じた場違いな感じはなかなかキビシイものがあり、改めてソロでご飯だけ食べに来るところではないなという結論に達しました。孤独のタト食反は、独りだけでする分には逆に孤独ではない、大勢の中でするソロ飯こそ孤独である、というパラドックスを、今更ながら思い知らされました。(なんかブーマーさんの動画にも、そんなのがあったような。)次回は少なくとも、キャンプ場か橋の下か(調べてみると結構橋の下は火気を使っていい場所があるんですね。)ひっそりとタト食反、もしくはもう思い切って泊まりがけでキャンプに行ってしまおうと思います。

それにしても、いわゆる「映える」写真というのは難しいものですねぇ。いや、別に芸術的な写真を撮ろうとは思わないのですが、どうせ飯の写真なら、飯テロと言われるくらい「美味そう」に撮りたいじゃないですか。いろいろと工夫してみるとしましょう。それではまた。再見。(←※私は基本考え方は右傾してまして、現在の中国は大っ嫌いです。吉川英治三国志水滸伝は大好きでしたが。)

 

 

ポンコツタト食反と部活のボヤキと孤独のホニャララ(前編)

さて、GWも終わりましたが、特にどこに行くわけでもなく、そのうち3日間は部活の大会と練習で潰れまして、杜甫じゃないけど「今春看す又過ぐ」もいいとこ。

思い返せば三十数年間、部活の顧問を外れたことは1、2回しかなく、しかもその1、2回もサブという扱いで、全くフリーになれたことはなく、基本三十数年間毎回GWのうち半分くらいは部活で潰れてきました。よく世間では「先生って夏休みや冬休みとかあって、暇でいいですね。」とか言われますが、年がら年中、土日祝祭日が、丸々フリーにはならない、というのと相殺して余りあると思うんですよね。もちろん中には一切部活の顧問にならない、とケツをまくれる先生もいるわけですが、「うちの学校では全ての先生にスポンサーになってもらってます。複数態勢になってもらうので労力は軽減できてます。ドヤッ」という管理職やら、渋々やっている同僚やらの「同調圧力」というものをブッちぎるのはなかなか困難だと思いますよ。(そもそも管理職だって、若い頃にはなんらかの部活顧問をしていたはずで、複数態勢だからって2回に1回行けばいいとはならないことは、重々承知のはずなのに、「知らぬ存ぜぬ」と綺麗事で済ませる気満々なんですよね。)

そもそも3時間部活をやって2700円(土日休日なのに時給が900円)、大会で丸1日潰れても8時間分出るわけでもないし、平日の放課後は2時間以上部活の指導をしても全く無給。もしも放課後に教師としてのマストの仕事を優先したとして、部活についていない時に怪我などされたら絶対に責任問題になったりしますしね。年度初めに2万円とか指導者費はもらえますが1年間それでおしまい。昨今は「部活は土日のどちらか1日だけ」になりましたので、せいぜい月4~6回くらい=月の手当が多くても1万5千円くらい。(中体連の時はもう少し多い)私は基本これを小遣いとして生活していますが(お小遣いキャンパー 泣)月々1万ちょっともらって土日祝日のどちらかが必ずといっていいほど潰れるというのと、人生全体における時間の価値と比較した時に、決してお得な話ではないと思います。土曜の朝一に部活が入れば、まだしも土の午後~日にかけて自由になりますが、それ以外だと泊まりがけでどうするこうするという計画はかなり難しくなってしまいます。

ただし、かなりの割合で「部活動命」の先生もいますし、その方々については損得勘定は全く無意味で、持ち出しもひどいことになってると思います。もう何というかボランティアとか滅私奉公に近いのも確かですよ。社畜もいいとこ。聞くところによりますと、何やら文科省の方では「土日の部活を地域にゆだねる」ようなことを画策しているらしいですが、実際に教員が欲しいのはむしろ「平日の放課後の部活動指導者」だと思います。やったこともない部活の指導を無理矢理押しつけられ、ストレスを抱えて体調を崩したり家庭不和になったり、休職したり果ては退職したりする先生方の割合を調査してみてもらいたいですね。きっとドえらいことになると思います。

と、まぁGWのぼやきはこれくらいにし、ある休日遠出するわけでもないけど何もしないのも業腹なので、また昼飯をタト食反してみようと思いまして、家の冷蔵庫から米一合とタマネギとピーマンをルパンし(これも「少年カムイ」さんのパクリ)アルストその他できるだけ選りすぐって外飯の道具を背負い(まぁいろいろ忘れてしまったんですがね)自転車に乗って朝一の部活に行きました。私の学校は部活動は3部制になっていて、朝一だと大体11時過ぎに終わります。生徒を帰し何やかやで12時ころ、リュックを背負い、自転車に乗って学校を出たのですが、外に出てはたと行き先に困りました。最初は石狩の砂浜に行こうと思っていたのですが、やたらと風が強いんですよ。(予報では風は「弱い」となっていたのですが、いったい何mが基準なんでしょうかね?)砂だらけになってご飯を食べるのもあずましくない(あずましい=快適、の逆の意味の北海道方言)ので、さてどこへ行こうか?

とりあえず食材が米と野菜だけしかないので、近くの店で一番安いハムとコーヒーの豆を買い、それから行き先を考えた結果、最も近くて合法的な場所として(近くの川の河原も考えたのですが、合法なのか非合法なのかわからず断念)「前田森林公園」のバーベキュー場がいいのではないか?と思いつきまして出発しました。この段階で「メスティンを載せる五徳」を忘れてきたことに気づき、途中のキャ〇ドゥで購入して(100均の便利さは異常!)追い風にも助けられ軽快に走ります。(お気づきだと思いますがフラグが立ちました。)さてさて、初めて来た前田森林公園のバーベキュー場に着いて思ったこと。(・・・お呼びでない?お呼びでない・・・こりゃまた失礼いたしましたっと!←知る人も少なくなった植木等のギャグ)この場所でソロ飯はかなりキツい!というかイタい!でも腹ペコだし・・・ええいままよ!コレもまた一つの孤独のグルメ外飯!ということで開き直り荷物を広げ、飯を炊き野菜炒めを作ろう、としたところで後編へ続く。(部活のボヤキが長くなりすぎました。)

 

 

頭の体操の解答と回答と解説(ドヤガオデエラソウダネドウモ)

えっと、解答(回答)です。(←なんか新井素子のあとがきみたい。)

問①急な坂道で、重そうな荷物を載せた荷車を運ぶ親子連れがいた。後ろで押している人に「前で引いているのはあなたの息子さんですね?」と聞くと「そうです」という。ところが、前で引いている若者に「後ろで押しているのはあなたのお父さんですね?」と聞くと「いいえ違います。」という。こんなことがありうるか。

世知辛くて嫌だけどまぁそれでもありうるか、という答えとして、「前で引いている息子がすごく父親を嫌っていて、親だと思っていなかった」というのが昔ありました。親でもなければ子でもない、ってヤツですね。で、そういうひねくれたというかイタイ答えではなく、ちょっと鋭い子は「ありうる。お母さんだった」とすぐに出てきます。ではなぜその答えがすぐに浮かばないかというと、「急な坂道」「重そうな荷物」「親子連れ」という言葉で、「力仕事」「重労働」というイメージから、「父親」という先入観が生まれてしまい、なかなかそこから抜けられないとのこと。ただし、昨今の世間の情勢からいうと、「力仕事=男」というイメージ自体を思い浮かべることすら、「ジェンダー的にその決めつけはおかしいざます!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!謝罪と賠償を・・・」となりかねないので、何かとやりづらくなってきました。(んなこたーない)

      ,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ < んなこたーない
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |  (←このAAも何のことだかわからん人ばかりだろうなぁ。)

問②あるところに、顔かたちがそっくりな二人の子供がいた。生年月日も両親も同じだというので、「では君たちは双子だね?」と聞くと「違います。」という。こんなことがありうるか。

一問めも二問めも、早く分かった子には時間かせぎに「〇字以内で答えてごらん。」とたたみかけます。(一問めは「ひらがな5字で=ははだった」もしくは「漢字一字で=母」となりますか。)二問目は「ひらがな6字で」と指定します。まぁそれで「みつごだった」という答えが出てきます。それでもよく分からない子には、「おそ松とチョロ松がいたんだよ。」と言えば理解してくれますね。(だから正しくは「三つ子以上のうちの二人だった。」ということになります。)これも問題をよく読むと、「そっくりな二人の子供がいた」という表現が実に巧みです。これがもし「そっくりな子供が二人いた」という表現だったとしたら、おそらくもっと簡単に考えが浮かんだことでしょう。「二人の子供が」で、人数を限定されたような印象を与えることができるわけで、「ちょっと表現が違っても受ける印象が変わる」例として使える問題です。

 当然私たちの年代は「おそ松くん」ですが。

③ある池に、近くにあった石を投げ込んでみると、その石はいきなりもぐったりしずんだりし始めた。これはいったいどういうことか?

これは一瞬で気づく子と、そうでない子に分かれ、気づいた子も何と答えたらいいかわからない問題です。これは4字もしくは5字で答えてごらん、と言いますが、中々思いつかないようです。(4字→とうぜん 5字→あたりまえ というのを答えとしておきます。今の子だったら、3字→ふつう の方が出てくるかも。)これくらいになると、「なんで気づかなかったと思う?」と投げかけると、「~たり~たりって表現は普通は逆のことに使うから」と、ちゃんと説明できる子が出てきます。いい傾向です。

④ある所に3メートルのロープで首をしっかりとしばりつけられた牛がいた。その牛をつなぐ丸太は、しっかりと地面にうちつけてある。意地悪な子供が来て、牛のえさを丸太から6メートル離れたところに置いていった。ところがしばらくしていってみると、その牛はえさを全部食べてしまっていた。丸太は抜けていないし、ロープも切れていないし結び目もほどけていない。これはいったいどういうことか?

そろそろいろいろ疑いながら読むようになってきたので、意外と気づく子が増えてきます。それでも「別の牛が食べた」とか答える子はいますし、それでも答えになるけど、「そういうことじゃないだろう」という空気がなんとなく生まれてきます。なかには「首は縛ってあっても、丸太につないでいるとは書いていない」などと具体的な説明ができる子も出てきます。

⑤大金持ちの「金羽有三(かねはあるぞう)」の家の召使いから警察に「大変です、ご主人様が毒殺されています」と電話が来た。警察が来てみると、密室の中に金田有三の死体と、青酸カリの入ったウィスキーのビンがあった。当日家には、客として主治医の「折賀八太(おれがやつた)」と甥の「半忍田太郎(はんにんだたろう)」孫の「青山リカ(あおやまりか)」がいた。さて、怪しいのは誰だろうか?

これは不肖私の作った問題ですが、さすがにかなり多くの子が見破りますね。それでもあまり深く考えない子は名前の印象で選んでしまったりします。でもコナンなんかを見ている子はすぐに「密室なのに毒殺と分かるのは変だ」と気づきます。推理小説や推理ドラマでよくあるパターンですね。これを端緒に推理小説を読んでくれる子が増えるといいなと思っています。「推理小説を読むと国語の力がつくよ」とは常々いろいろな場面で生徒に言っています。(が、私自身がここしばらく新しい推理小説を読んでいません。悲しいことに。)さて、ここまで続けてきて「メイン」の最後の問題です。

⑥ある所に、故障して銃口から1メートルしか弾が飛ばない銃を持った猟師がいた。その猟師が、10メートル離れた木の枝にとまっている鳥をその銃で狙って撃ったら、みごと命中した。鳥は木から離れていないし、猟師も木に近づいていない。ではどうして命中したのだろうか?

「銃を投げつけたら当たった」「後ろから強烈な風が吹いてきて弾が飛んでいった」などの答えがまず出てきます。「でもなんかスッキリしないよね?」と投げかけてさらに考えさせると、やがて「銃身が長かった」という答えを出す子が出てきます。つまり、「銃が9mあった」という回答です。たいていはみんなそれで「おー!」と納得するのですが、「馬鹿馬鹿しいようだけど、それがアリだとしたら?他には考えられないかい?」とたたみかけます。すると「枝が9mあった」「鳥が9mあった」「弾が9mあった」などと次々に出てきます。「猟師の手が9mあった」もいいでしょう。(昔やった時には、真っ先に「猟師がルフィだった」という答えが返ってきて、「腕が9mあったわけだね?」から広がったこともありましたね。)さらには、「猟師は木から10mの高さの崖の上から撃った」なんて3Dの答えを考えつく子もいました。どこの会社か知りませんが、入社試験でこんなのを出されたら、確かに柔軟な発想の人材が集められそうですね。国語では絞っていく解答も、広げていく回答も、両方大切だと思います。

前述したとおり、国語の読み取りではいろいろな考え方ができる場面があり、そのときに「馬鹿馬鹿しいと思うような考えも大切にする」「人と違う考え方があればそれを寄せ集めて(昔は元気玉の例えを使っていたのですが、なかなか通じなくなってきました。)考えを深めることを大切にする」「空想力、想像力をはたらかせ、書かれてある表現の可能性を考えることを大切にする」などのことを、授業で発揮してほしいという締めでオリエンテーションを終えています。(まぁその場は楽しんでくれても、実際の授業ではなかなか発揮させられずに悩むところではありますが。)長々つづってきましたが、国語のオリエンテーションとして(良いのか悪いのか分かりませんが)こんなことをやっている変な先生もいるということでご笑納ください。どっとはらい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリエンテーションと頭の体操その③

さて、前回紹介した④と、今回の⑤は、時間があればやるし、時間が無ければとばして最後の問題に行くことにしていますが、この⑤は不肖私が考えて出していた問題です。そろそろ慣れてきたころなので、引っかかる生徒がかなり少なくなってきますが、とりあえずこんなのです。

⑤大金持ちの「金羽有三(かねはあるぞう)」の家の召使いから警察に「大変です、ご主人様が毒殺されています」と電話が来た。警察が来てみると、密室の中に金田有三の死体と、青酸カリの入ったウィスキーのビンがあった。当日家には、客として主治医の「折賀八太(おれがやつた)」と甥の「半忍田太郎(はんにんだたろう)」孫の「青山リカ(あおやまりか)」がいた。さて、怪しいのは誰だろうか?

はい、その通りです。この辺まで来ると「名前に引っかかって」という生徒は少なくなり、ピンときてキチンと読み取るようになってきますね。簡単なので、時間が無いときにはとばして次の問題に行きますが、次の問題こそは一番オリエンテーションとして重要な問題であり、今後の授業につなげていきたい内容です。ちなみにこれは、出典は「頭の体操」ではなく、確かどこかの会社の入社試験で出されたものだったはずで、何かで読んでえらく感心した問題です。では考えてみてください。

⑥ある所に、故障して銃口から1メートルしか弾が飛ばない銃を持った猟師がいた。その猟師が、10メートル離れた木の枝にとまっている鳥をその銃で狙って撃ったら、みごと命中した。鳥は木から離れていないし、猟師も木に近づいていない。ではどうして命中したのだろうか?

さて、いかかでしょう?これは今までの問題とは違い、「一つの答えでストンと落ちる」ものではありません。言うなれば「少年の日の思い出」で主人公がチョウを粉々に潰した理由や、「握手」で語り手が最後にした指サインの意味と同様、「みんな違ってみんな良い」類いの問題で、国語の授業において「世界観がぶち壊しにならなければ、いろんな考え方があっていいんだよ。」「馬鹿馬鹿しいと思うようなことでも、いろんな考えを出し合うことがすごく大事なんだよ。」ということを生徒に伝えるためのものです。(入社試験としては、「一つだけの考えで満足せずに、派生的発展的な考え方ができる人」を求めているのだと思います。)

以上、私が最初のオリエンテーションの時に使う問題のご紹介でした。お読みの皆さんは、大体おわかりだと思いますが、解答(回答)と解説、というかネタバレは次回まとめて載せたいと思います。よろしければ次回もご覧ください。

 

 

久々に国語の話題をば・・・頭の体操続きとジェネレーションギャップ?

さて、前回の続きで授業のオリエンテーションで使う「頭の体操」その③からご紹介しようかと思ったのですが、先日の授業でちょいと衝撃的?なことがありまして、先にその話をさせていただきます。

題材は井上ひさしの「握手」です。登場人物の「ルロイ修道士」が、昔は畑仕事などで手のひらが板を張ったように固くなっていた、という場面で生徒に、「こんなふうに毎日スコップやくわを使ったりして、皮膚が固くなったのを何という?」と質問したのですよ。すると生徒はポカーン。質問を変えて「野球部とか素振りしてたら指の付け根が固くなるだろ?それを何という?」と聞いたら、やっとわかった、という顔で「豆!」「んー、まぁそうもいうけど、豆通り越してもう潰れなくなるくらい固くなったやつは豆と言わないだろ?」「いや、豆です。」・・・はて、こちらとしては「たこ(胼胝)」という答えを期待していたのだが、「たこ」という言葉は死語なのかしらん?「ちなみに君たち、耳に胼胝ができる、という慣用句は知ってるかね?」と質問すると、半数以上が知らないとのこと。うーん、ペンだこは知ってるかい?と聞くとそれは分かるらしい。個人的には、水ぶくれになったのが豆で、潰れなくなるほど角質化したのをたこ、というのだと思っていたのですが、皆さんいかがお考えでしょうか?(ちなみに、同じ質問を三人の先生方にしてみたのですが、二十代四十代の二人は豆で、私と同じ感覚なのは再任用の先生だけでした。これもジェネレーションギャップ?(泣)

さて、気を取り直して前回の続き。3問目として出すのがこちら。

③ある池に、近くにあった石を投げ込んでみると、その石はいきなりもぐったりしずんだりし始めた。これはいったいどういうことか?

まさに先入観に縛られたら、なかなか読み取りが難しい問題です。ただしこれは、数人分かった子が出てきても、「何と答えたらいいかわからない」感じになります。もちろん中には、「地震が起きた」「魚の背中に乗った」「石じゃなく亀だった」「水切りをした」などの答えも出ますし、一概に不正解、とも言えませんが、ある程度答えを言わせたあとで、こちらの方から「答えはひらがなで4(5)字でこたえてください」と振ってみたりします。さて皆さん、おわかりでしょうか?

ここまでやってくると、意外と次の問題なんかは慣れてきた子はすぐ気づきますね。この問題なんかは、「契約書とか隅々まで読まないとだまされたりするよ」なんてことの実例として紹介したりしますね。

④ある所に3メートルのロープで首をしっかりとしばりつけられた牛がいた。その牛をつなぐ丸太は、しっかりと地面にうちつけてある。意地悪な子供が来て、牛のえさを丸太から6メートル離れたところに置いていった。ところがしばらくしていってみると、その牛はえさを全部食べてしまっていた。丸太は抜けていないし、ロープも切れていないし結び目もほどけていない。これはいったいどういうことか?

さて皆さん、おわかりでしょうか?(しかし人の作った問題をしたり顔で出しておいて、「おわかりでしょうか」もないもんだ、というご指摘は勘弁して下さい。)時間があるときにはあと2問出しますが、それはまた次回ということで。

 

久々に国語関連の話題をば・・・オリエンテーションでの小ネタ①

新学期が始まりまして、たいてい最初の授業では「オリエンテーション」と称して、ノートの使い方や、授業の受け方、評価評定の仕方などを説明する時間になりますね。もちろん私も最低限必要なことは伝えますが、後半はこんな内容を使って「動機付け」とします。もちろん自己満へそ曲がり流ですので、一般の先生には参考にならないでしょうが、お暇つぶしにご覧いただければ幸いです。

さて、まず私は「何のために勉強するのか?」という大命題をぶちかまします。1年生なんかは特に目をパチクリさせて、必死に答えを探します。まぁ大抵は「将来のため」「自分が社会に出て困らないため」「高校進学するため」「良い仕事に就くため」など答える生徒が多いです。非常に健全でありもっともで、文句の付けようがありません。で、それに対して私は個人的な見解として「損をしないために勉強しろ」と言います。もっと言えば、国語は「人にだまされないために勉強しろ」と言います。この辺り、イタイケな1年生に毒を吹き込むようでちょっと気が引けますが、「一番楽してお金儲けするのはどうしたらいいか?それは人をだましてお金を巻き上げることだ。だから今世の中に振り込め詐欺だのなんだの、詐欺がこんなにも広がっている。人の話を聞いて、書いてあることを読んで、なんか変だな?と気づくことが大事だ。」と教えています。かなりへそ曲がりですが、誰かは伝えるべき内容だと思っています。で、「人はわりと簡単にだまされる」という例として、以下のような問題を出して生徒に考えさせることにしています。

(ちなみにこれらの問題は、私が小中学生のころ、つまり今から50年程前に大ベストセラーになった多湖輝氏の「頭の体操」シリーズからお借りしています。内容的にネタバレであり、著作権に触れる可能性があるかもしれませんが、紹介させていただきます。解説は別の回でお示ししますが。)まずは軽く2問。ただし、実際の本とは文言の細部が違っているかも知れません。

 

問①急な坂道で、重そうな荷物を載せた荷車を運ぶ親子連れがいた。後ろで押している人に「前で引いているのはあなたの息子さんですね?」と聞くと「そうです」という。ところが、前で引いている若者に「後ろで押しているのはあなたのお父さんですね?」と聞くと「いいえ違います。」という。こんなことがありうるか。

そもそも「頭の体操」の著者である多湖輝さんは心理学の方の先生で、先入観や錯覚、思い込みで頭脳がミスリードされる問題をたくさん出していますが、この問題なんかはまさに「先入観でだまされる」という説明にぴったりです。ちなみに今回1年生に出題したところ、大体2/3は「何のことやらサッパリ」でした。(ただし、ヒントになってしまうかも知れませんが、昨今の情勢からちょっとこの答えの解説にはナーバスな面が出てきました。)さて、おわかりでしょうか?

続いてもう一問。

問②あるところに、顔かたちがそっくりな二人の子供がいた。生年月日も両親も同じだというので、「では君たちは双子だね?」と聞くと「違います。」という。こんなことがありうるか。

忘れてましたが、問①にも問②にも、「二人とも嘘は言っていない」という前提が必要でしたね。生徒が真っ先に考えつくのは「嘘をついていた」という答えですが、それではすっきりしない。ということで、出題の後に「誰も嘘はついていない」という補足は付け加えました。この②なんかも、微妙な国語的表現の違いで、思考が一定方向にミスリードされてしまういい例だと思います。ほんの一カ所表現を変えれば、わりと簡単に思いつくのですが。ということで、「微妙な表現の違いによって印象も変わる」ということの説明にぴったりでした。これも2/3は「何のことやら」でしたね。さて、おわかりでしょうか?

ちなみに、残り時間によりますが、オリエンテーションではあと4問用意してあります。それらについてはまた次回書きます。お後がよろしいようで。

 

ポンコツタト食反パート2(と年寄りの逆ギレパート2)後編

さて、勇み足で(←このあたり「少年かむい」さんのパクリ)十五島公園にタト食反をしに来たものの、炊事場は閉鎖されていて、手には肉とたき付けの入ったレジ袋・・・こんなの持って帰るのヤダなぁ。公園には過ごしやすそうな東屋があるし、いっそあそこで米を炊き肉を焼いてやろうか?でもそういう不届きなことを考えるヤツがたくさんいるらしく、あちこちに「指定の場所以外での火気の使用を禁止します」的な貼り紙がしてあるし、でも持って帰るのめんどくさいし、「ああもういっそ悪徳者として生きてやろうか?」・・・と、メロス的闇落ち寸前の気持ちを何とか抑えつつ(一応こっちも公務員の端くれだし、ヘタに問題になっても困るし)帰路につく途中で思いついた。そうだ!滝野公園に行こう!と走り出したところまでが前回のお話でした。

滝野霊園には何度となく墓参りに行っていたので、それほど遠くないイメージでしたし、強風が幸いにフォローで吹いてくれたので(←フラグ伏線その4)支笏湖との分かれ道まではかなり快調に走れたのですが、車と違いそこからの上り坂が、まぁ自転車で行くとキツいこときついこと。(ちょっと走れる人ならなんてことない坂なのでしょうが、私のようなド貧脚にはかなりこたえます。)ゼーゼーいいながら何とか滝野霊園まで登り、そこからは快調な下りとフォローの風でほとんど漕ぐこともなく「滝野すずらん丘陵公園」の渓流口から受付を通り(自転車は無料で、しかも園内を普通に走れるというラッキー)炊事場は鱒見口の所だけだというのでさらにそちらまで移動してやっと到着しました。

 

着いた時には日差しは明るかったけれど、相変わらず風は強かったので、試してみようと思ったタープのダイヤモンド張り?はやめにして(←フラグ伏線その5)グラウンドシートだけ敷いて地べたスタイルでいこうと思い、道具を出して並べます。

  

(DODのグランドシート 190cm四方 当時2,332ポチ)

www.amazon.co.jp

かなり疲れたので、まずは米を研ぎまして、浸水させているあいだにコーヒーでも、とお湯を沸かしてみてここでしくじり発生。シェラカップでは引っかけられない!さてどうする?・・・もともと豆からひく予定で持ってきていたダイソーの1100円コーヒーミルセットのコップがあるじゃないか!

 

何とか一息つきまして、本日のメニューはこちら。

 

(あまり還暦前の男が食べるにふさわしいメニューではありませんな 汗)ダイソーの風防と五徳とアルストで米を炊きまして、待っている間にプチたき火の準備をします。

 

(TOMSHOOチタンウッドストーブ 当時3.399ポチ)

 

 

これこれ、これがやりたかった。(ジョイント箸 898ポチ)カミサンが見たら卒倒しかねない、というか半殺しにされかねない、この背徳感バリバリのタト食反よ!というわけでこのカルビ弁当を、「ワシワシとかきこんで(椎名誠風)」いくと、「(妙に、うまい)のである。(池波正太郎風)」などと悦に入っていたのですが、焚き火を始めた頃から気になることが。空が「(妙に、暗い)のである。」

 

そしてポツポツと小粒の雨が降り始め、(伏線1回収)ずぶ濡れまではいかないけれど、全体がしっとり濡れるレベルの雨になってきました。横着してタープを張らなかったせいで、(伏線5回収)だんだん「あずましくない(北海道方言)」感じになってきたので、最後はオニオンスープで〆てから大急ぎで撤収にかかります。雨はだんだん強くなり、水たまりこそできないまでも、舗装道路の色がすっかり変わるくらいにはしっとりとお湿りが。おそらく気象庁札幌管区気象台?的には、「1mmには達していないので、これは雨天ではありません。ドヤッ!」とか言うんでしょうなぁ。でも、ふたたび言わせてもらいます・・・「やい気象庁!まぁた70%外しやがったな!昔の海○語の魚群予告でももう少し当たるわ!どうしてくれるこのていたらくを!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!」・・・ごまめの歯ぎしり、負け犬の遠吠え、えぇえぇわかってるんですよ。でもねぇ今年に入って70%以上を2戦2敗はいくら何でも酷いんじゃないかい!!!・・・ハァハァ、以上年寄りの逆切れでした。

さて、帰り道もまた坂を登るのは嫌なので、平らな道を選び清田の方から回って帰ることにしました。しましたが・・・まあ予報も全く当たっていなかったわけでもなく、ちゃーんと当たりましたよ。「風が強い」ってことだけは。はいはい、強かったですよ・・・帰りのアゲインストは!!!(←伏線4回収)なんやかやで札幌市内を三角形に回った感じになり、走行距離はサイコン読みで73キロになりました。かる~く外飯のつもりが、とんだトレーニングになりました。とはいえ、今回いろいろしでかした内容は、今後のいい教訓になりました。

忘れ物・・・①皮グローブ(無くても済んだけど焚き火にはほしかった)②洗剤やスポンジ(水でざっと洗うだけしかできなかったので、まぁ鉄板が煤だらけ)③ウエットティッシュ(洗い物をせず拭くだけで済ませて持って帰る予定でした)

次回持って行く物・・・サドルバッグを両方付けるか、ヒップバッグでなくてもう少し大きめのバッグを持っていく(容量ギリギリだと食材を入れられない!)

次回持って行かない物・・・インシュレーターザブトン(果てしなく滑るということがわかった。ダイソーの110円ザブトンに変えようと思う。)

次回の目標・・・タープを立ててみる。さて、次回はいつのことやら。まもなくGWですが、何だかずっと雨模様なんですよねぇ。雨を承知で行くほど気合いは入っていないもんで、しばらくはお預けかなぁ。では次回は久しぶりに国語関係の話題などをお送りしたいと思います。よろしければまたおつきあいください。

 

 

 

ポンコツタト飯パート2(と年寄りの逆ギレパート2)前編

(今回の内容は前回に続き気象庁札幌管区気象台?と札幌市南区土木部維〇管理課の関係者は読まないでください。一部逆ギレ気味のヘイトクレームがあります。)

さて・・・「(若い頃はしたけれど)年寄るまでソロキャンプをなさざりければ、心憂く覚えて、あるとき思いたちてただ一人、自転車(チャリ)より詣でけり」ということで、どの予報を見ても降水確率20~30%の天気の良い日(←フラグ伏線その1)の朝、また外飯としゃれ込もうと思いまして、オルトリーブのバッグと、マウンテンスミスのヒップバッグに色々ギュウギュウに詰め込んで(←フラグ伏線その2) 

颯爽と?家を出たのが9時半ころ。行き先は十五島公園。前日にネットで調べると、その手前の藻南公園のバーベキュー場は4月29日オープンで間に合わず。おそらく小学校に上がる前に行ったことがある気がする十五島公園を検索すると「ゲートの開閉 4月中旬~」とある。もう下旬だし、ということは・・・開いてるよね?!(←伏線3)ということでまぁ年寄りの冷や水で走った訳ですよ。「天気晴朗なれど波高し」キッツい向かい風の中、石山通を南下し、途中のダイソーでコレ↓と塩こしょうを買いこみまして(たき付け3つと併せて442円也。ちなみに塩こしょうは使うことなく戻ってきましたが。)

 (こぢんまりと焚き火がしたかったのです。)

まぁこれもあとで気づけば、十五島公園の手前にもダイソーはあったのですがね。そして同じく十五島公園の手前の東光ストアで肉とコーヒー(本当は豆から挽きたかったのですが、まぁ高価な高級な豆ばかり置いてあって、しかも味が想像付かないような何とかブレンドばかりだったので、インスタントのコレ↓)とスープを購入しまして、

 

牛味付けカルビ焼用580円、ク〇ールカップスープ178円、コーヒー5杯分入り428円、税込み1280円の出費、ダイソーと併せて1722円也。まぁお小遣いキャンパーとしては十分許容範囲でしょう♪・・・と浮かれていたのはここまで。十五島公園に降りてみると・・・何ということでしょう!河原へ降りる道は全て閉鎖されており、しかも「いつ開放できるか全ぇ~ん然分かりましぇんテヘペロ♡」みたいなことまで貼り紙がしてあり(この辺りかなり悪意のある改竄です)・・・どうりでこのBBQばやりの昨今に、駐車場に全然車がいなかったわけだ。(その3の伏線回収)さてここで逆ギレその1!

やい!札幌市南区土木部〇持管理課~!使えないなら使えないって一言書いておくぐらいしたってバチ当たらないだろうがよぉ~!ボー然としていた私の後にも、何台か車が来て、2家族くらいガッカリして帰って行ったぞぉ~!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!

・・・まぁね、確かに川の様子を見れば、「見よ、前方の川を。昨日の豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流とうとうと下流に集まり、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、こっぱみじんに橋げたを跳ね飛ばしていた。彼は茫然と立ちすくんだ。・・・」というメロスレベルの流れで、河原なんて全く見えないし、そもそも今年のあの災害的豪雪の雪溶けなら、そう簡単に水が引かないことなんて、来る途中の豊平川を見た段階で気づいても良さそうなもんだわなぁ。とはいえ、このバッグがギュウギュウで入りきらなくて、レジ袋に入れたまま持っているこの肉とかをどうすればいいんだ???(その2の伏線回収)諦めて家まで持って帰るのヤダなあ。とはいえ、家人に事情説明と帰るメールを入れて、来た道を戻る途中で、ピッコーン!と閃いたのです!

この先の二股を右に曲がれば、滝野公園があるじゃない!そうよ、十五島公園が無ければ、滝野に行けばいいのに!

(何でもかんでも連想した物を貼ればいいってもんじゃないよな)ということで、まずはスマホで調べて炊事広場が開いていることを確認し(サイショカラタキノニイッテレバヨカッタノニネェ、ヒソヒソ)家人に再度計画変更のメールをした後、南東に進路を変えて進んでいきました。この後に待ち構える試練も知らずに・・・(後編に続く)

 

 

 

 

久々のサイクリング(と年寄りの逆ギレ)

ということで、ある晴れた休日、30キロほど離れた海岸の展望台までサイクリング&昼メシと洒落こんでみました。(全くおシャレな活動ではありませんが。

持ち物はモンベルのクッカーとそれにちょうど入るO D缶、そしてこれまたいつ買ったかも覚えていないスポーツアルペンデポ「サウスフィールド」ブランドのミニバーナー、財布、スマホ、モバイルバッテリーとコード、セカンドストリートで買ったモンターナのミニテーブル(たしか1600円くらい)とダイソーのミニ風防(550円)、キャプテンスタッグのインフレータブルザブトン(400円弱)を、モンベルメッセンジャーバッグに詰めまして、いざ出発。(オルトリーブのサドルバッグはまた今度)

天気予報は降水確率20%、風邪は弱め、絶好のサイクリング日和。なんやかや雑用を済ませて、家を11時20分に出まして、若干のフォローに助けられ、快調に国道231号線を北上していきます。

 

途中のセイコーマートで、おにぎりとカレーめん(セイコーマートのオリジナル)を購入し(それにしても安い!2つで200円ちょい、むしろおにぎりのほうが高いというコスパの良さ。)つくづく北海道の郊外における、セコマの頼もしさは異常!

もっとも「快調」と言っても、私自身が「平地と向かい風には弱いが、登り坂にはめっぽう弱い」という(←ダメじゃん!)とてつもないド貧脚なので、せいぜい出せても追い風で30ちょいくらい。そういえばゆるキャンの13巻で、初めてロードバイクに乗った犬子が、ちょっと本気でこいだら40キロ出てた、ってのが羨ましい。(というか私の自転車は、いくらシクロクロスとはいえ、タイヤを28cのオンロード用に変えているし、いくら重くても40キロくらい出せても不思議はないのだがなぁ。これが年をとるということなのだろうか?)

 

セコマで昼メシを購入後、再び走りだしましたが、石狩の霊園横の坂でもう既にバテてしまっている情けなさ。表題の通り年寄りの冷や水、という言葉が頭をよぎります。何とか登りきり、あとはただ真っ直ぐ丘の上の道を走り、望来の手前の坂を気持ちよく下ります。(と言っても、気持ちよい分帰りの登りがキツイわけですが)

望来の町のセコマを過ぎて(思えばこっちで買えばよかった)信号を右折し、広大なパークゴルフ場を左に見ながらまた坂を登ります。

この辺りから空がだんだん曇ってくるのですが、何とか目的地の嶺泊駐車場公園(通称「カシオペアの丘」)にたどり着きました。所要時間約2時間。このコロナ禍の中、久々にちょっとした小旅行気分を味わうことができました。(それにしてもアベレージ15キロかぁ・・・7年前の大夕張200キロブルベで、かなりギリどはいえよく間に合ったもんだ。)

 

ボトルの水をクッカーに入れまして、開けるのはいつ以来だかわからぬバーナーを着けけてみますと、何事もなかったかのように普通に着火しボーボー燃えます。

(我が日本の工業製品はァァァ世界一ィィィィ〜!)と、心の中でシュトロハイムりながらお湯が沸くのを待ちます。(よくよく見たら新富士バーナーだもの。そらぁ着くわなぁ)

待ちながら来し方を眺めると・・・あれあれ?何だかどんどん雲が厚くなってきているぞ?おまけに遠くを眺めればけっこう良い景色なのに、目前の草むらには空き缶やらペットボトルやらがたくさん捨てられていて何だかうす汚いし。

 

以前紹介したYoutuberのブーマー氏みたいに「一泊一善」できるレベルではなく、半端なくポイ捨てだらけ。車で来ているんだろうから、持って帰るくらいは何てことないだろうに!・・・しかし、腹立たしくても腹は減るもので、お湯が沸きましたよっと。

 

ただ外でお湯を沸かして、カップ麺を食うだけで、なんでこんなに満ち足りた気分になれるのだろう。アウトドアの不思議ですね。コーヒーの一杯も入れたかったところだけど、そのセット(ダイソーで1100円)は持ってきてなかったので、今度同じような機会があったら考えよう。さて、「撤~収!撤~収!さっさと撤収!しばくぞ。」 (おいおい)

 久々に使ったし古いけど結構いいなこれ。パッキングも楽だし。

一通り片付けてさて帰ろう、と思ったころ、降って湧いた災難、メロスの足は、はたと止まった。見よ、前方の川を。・・・雨だよ。おいおいおい!降水確率20%じゃないのかよ!ちゃんと確認して出てきたのに!またまた80%外しやがって、いったいどういうこった!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」~!

(さてここから年寄りの愚痴が延々と続きますし、気象庁ディスる内容ばかりなので、気象庁の関係者や他人への悪口雑言がお嫌いな方はお読みにならないでください。)

私は以前から息子に、「公務員になるなら気象庁に入れ。どんだけ予報を外そうが信じた人に迷惑がかかろうが一切責任を取る必要もなく、クレームが来てもサーセンwで済むんだからこんなのんきな仕事はない。70%80%どころか90%外しても平気で勤まるんだからこんないい仕事はないぞ。」と言ってました。(まぁ大抵、天気予報を信じて自転車で通勤し、帰り道でずぶ濡れになって帰宅した時に腹立ち紛れで言うわけですが、あまりに何回もあるので息子も飽き飽きした顔をしていますな。)私はそもそも天気予報で降水確率40%を越える時には自家用車で通勤します。つまり30%以下の時にしか自転車通勤していないのですが、それでもかなりの確率でダマされます。

いやね、私もいい大人、というか老人なので、昨今の天気予報が異常気象で難しいとか、そもそもマスコミを信じる時点で愚かであり、また自己責任であることも重々承知なんですけどね。ここ数年来は、台風情報にしても、まぁ警報が出されて学校が臨時休校に決まった後の天気の晴れること晴れること・・・台風は命に関わることだから、結果的に何もなかったのは良いことだとしても、通常の天気予報くらい、もう少し当ててもらえませんかねぇ?・・・自転車もバッグもウェアも泥だらけになって帰ってきて、せっかくの満ち足りた気分が台無しになった年寄りの逆ギレでした。現場からは以上です。